DFBが断行した国中を巻き込む大改革 瀬田元吾、ドイツサッカー解体新書(2)

瀬田元吾

ユーロの惨敗を契機に改革を行う

00年のユーロ惨敗から立て直し、14年W杯で優勝を飾ったドイツの大改革とは? 【写真:アフロ】

 2000年のユーロ(欧州選手権)グループリーグでの惨敗が契機となって始まったドイツサッカーの育成改革は、A代表チームが14年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会を制したことで、絶対的な評価を得ることとなった。このプロジェクトが大きな成果を収めた最大の要因は、ドイツサッカー協会(DFB)を頂点としたサッカー界全体が、同じベクトルを向いて進めてきたことに他ならない。そこで今回は、DFBが具体的にどのようなことを行ってきたかについて、私自身が現地で見てきたことを紹介していこうと思う。

 DFBはこの改革に関して明確な2つの目標を立てた。それはドイツ代表チームの強化(国際大会での好成績)と、国内で若いドイツ人選手を育てること。シンプルかつ明確な目標設定であり、決して画期的なものではない。だからこそ、誰から見ても成果を判断することができる、非常にシビアな目標設定でもあった。

 W杯優勝回数3回を誇り(00年当時、西ドイツ時代を含む)、1993年に始まったFIFA(国際サッカー連盟)ランキングでは堂々のトップスタートを切ったサッカー王国が、まさに復活をかけた大プロジェクトを断行したのである。それはまさに、ドイツのサッカーを取り巻く環境すべてを巻き込む、強い信念なくしては成功しない中長期的な大改革であった。

DFBの明確な狙いとその成果

10年のW杯南アフリカ大会では、アンダーカテゴリーで実績を残したノイアー(1番)やエジル(8番)らが躍動した 【写真:ロイター/アフロ】

 DFBが最も注目したのは95年のボスマン判決以降、ドイツ人選手たちが自国で活躍できなくなっているという現実だった。ボスマン判決により、EU(欧州連合)域内のクラブチームはEU加盟国籍を持つ選手を外国籍扱いにできなくなっている。

 そこで06−07シーズンから、ドイツ国内でドイツ人選手を育成するために、各クラブに独自のユースアカデミーで育成した選手を一定数登録することを義務付けるというUEFA(欧州サッカー連盟)の「ローカル・プレーヤー・ルール」を採用することを決断した。これにより、15歳から21歳の間に3年以上自クラブのアカデミーで育てた選手を4人、また所属クラブを問わず、同年齢期間にDFB傘下クラブで育成された選手を含めて合計で8選手をプロ契約選手として抱えることを義務付け、ドイツ人の若手選手が少しでも多くプロ契約を勝ち取れる環境を整備した。

 また、ブンデスリーガ1部または2部で活躍できるドイツ人を増やすために、外国人枠を撤廃し、逆に「ドイツ人枠」なるものを設定。各クラブに最低12人のドイツ国籍保有者と契約することを義務付けた。そして、各クラブのサテライトチームは23歳以下(オーバーエイジ3人まで)に限定されたが、これは各クラブがU−23チームを保有することで、可能な限り若い選手たちにチャンスを与えることを狙いとしていた(14−15シーズンから、U−23チームの保有は任意)。

 これらの施策は、08年ごろから成果を見せ始めることになる。08〜09年にU−17、U−19、U−21の3カテゴリーすべての欧州選手権で優勝を果たした。10年のW杯南アフリカ大会では、アンダーカテゴリーで実績を残したマヌエル・ノイアーやメスト・エジルといった若きタレントたちがA代表でも躍動し、近代的なサッカーを披露。結果こそ3位となったが、それまでのフィジカル重視のサッカーというイメージを一新した新生ドイツのモダンサッカーは、世界に衝撃を与えることとなった。そしてその4年後の14年、W杯ブラジル大会では、当時のタレントたちが成熟期を迎え、ついに世界一の称号をつかみ取っただけでなく、FIFAランキングもトップに返り咲くという成果を挙げることになった。

DFBの役目(1)「シュトゥッツプンクト」

デュッセルドルフ近郊で行われた「シュトゥッツプンクト」のトレーニング風景 【写真:瀬田元吾】

 ドイツのタレント育成の仕組みを理解するためには、ブンデスリーガクラブの下部組織であるユースアカデミー、「シュトゥッツプンクト(日本のトレセンに相当)」、アマチュアクラブの存在を把握し、そしてそれぞれがどのように関わり合っているかを知る必要がある。

 ブンデスリーガクラブ(1部、2部を合わせた36クラブ)は、リーガライセンスを取得するために、規定の1つであるユースアカデミーの設立条件を満たさなくてはならない。これによりDFBは、このユースアカデミーに所属しているタレントたちの育成を、各クラブに任せることができる。

 一方で国内に約2万5000あるアマチュアクラブに所属する埋もれた才能を発掘するために、全国に366カ所の「シュトゥッツプンクト」と呼ばれるスカウティングポイントを設置した。そしてU−12〜15の年代を中心に、それぞれの地域にいる子供たちをスカウティングし、プロクラブのユースアカデミーに所属はできないものの、才能があると思われるタレントを発掘。各年代ごとに最大で20名程度のチームを編成し、各クラブの活動とは別に、週1回のトレーニングを行っている。

 この指導に当たるのはDFBエリートユースライセンスを保有する指導者であり、彼らはパート給の契約となるが、各「シュトゥッツプンクト」に最低4名は配置されている。つまり全国で1300名を超える「シュトゥッツプンクト」コーチが活動していることになり、彼らは常にDFBがアップデートする最新情報を共有しながら指導に当たる。

「シュトゥッツプンクト」自体は週1回のトレーニングが活動の中心ではあるが、「シュトゥッツプンクト」同士で対戦したり、同年代のユースアカデミーのチームとテストマッチを行うこともある。プロクラブは「シュトゥッツプンクト」を通じて、埋もれていた才能をユースアカデミーに引き上げることも少なくない。つまり「シュトゥッツプンクト」は、プロクラブとアマチュアクラブをつなぐ橋渡し的な役割を担っているのだ。

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著者プロフィール

1981年生まれ、東京出身。筑波大学蹴球部、群馬FCホリコシを経て2005年に渡独。ドイツではフォルトゥナ・デュッセルドルフのセカンドチームなどに所属し、アマチュアリーグでプレーしたのち、現役を引退。08年に同クラブのフロント入りし、日本デスクを立ち上げ、海外クラブの中で、広報やスポンサー営業、ホームタウン活動、スカウティング、強化、選手通訳など、さまざまなことに従事してきた。近年はドイツのプロクラブで働く「フロント界の欧州組」として、雑誌やTVを通じて情報発信を行っているほか、今年4月には中央大学の客員企業研究員にも就任している。著書に『「頑張るときはいつも今」ドイツ・ブンデスリーガ日本人フロントの挑戦』(双葉社)、『ドイツサッカーを観に行こう!ブンデスリーガxドイツ語』(三修社)。14年にドイツに設立したSETAS UG社(http://www.setags.jp/)を通じ、日独の架け橋になる活動も行っている。

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