細貝萌が己の身を捧げる場所 一番の理解者が去っても、チームのために

島崎英純

今シーズンの舞台はシュツットガルト

細貝が16シーズンの活躍の舞台に選んだのは、ブンデスリーガ2部に属するシュツットガルトだ 【島崎英純】

 ジャージを着込んで悠然と歩く。かつて「ゴッドリーブダイムラー」と呼ばれたスタジアムを左手に見て、整備された道を歩いていく。5分も歩を進めれば、瀟洒(しょうしゃ)なレストランが見えてくる。レストランの裏手にはサッカーグラウンドが広がっている。門にはドイツ語で『Verein fur Bewegungsspiele Stuttgart 1893』と書いてある。細貝萌が2016シーズンの舞台に定めたクラブが、ここにある。

 9月も中旬を過ぎたのに、この日のシュツットガルトは33度を超える真夏日だった。クラブハウスの三方を囲むグラウンドの一角で、ユース選手がトレーニングに励んでいる。10代の若者はしかし、あまりの暑さに動きが止まってコーチ陣の指導についていけない。膝に手をついて肩で息をする選手たちを見て、コーチが仕方なく練習終了を告げる。ようやく「地獄」から開放された選手たちは、近代的で機能美に満ちた新築のクラブハウスへと吸い込まれていった。

 その直後、クラブハウスに隣接する古びた建物から新たな一群が現れた。彼らは筋肉質で体躯(たいく)も大きく、ひと目でトップチームの選手たちだと分かる。集団の中に小柄で細身の選手がいた。彼は傍らにいる仲間としきりに話し込んでいる。

「今回チームに期限付き移籍してきたばかりの(カルロス・)マネって選手だよ。22歳で、ポルトガルのスポルティング・リスボンってチームから来た。マネは今回のリオ五輪にU−23ポルトガル代表の一員として出場している。でも、まだシュツットガルトに来たばかりでチーム戦術になじむのに時間が掛かっているから、動き出しとか、基本的なことを教えていた。俺もマネと同じで今季チームに加わった新加入選手なんだけどね(笑)。

 ただ監督のヨス(・ルフカイ)はアウクスブルクやヘルタ(・ベルリン)時代に師事していたから、彼のチーム戦術については理解しているつもり。それに俺も30歳になったから、チームメートを支える役割も求められていると思うんだよね。だから仲間とは積極的にコミュニケーションを取ろうとしている」

苦闘の日々が続く浅野のサポートも

移籍したばかりでドイツ語が不十分な浅野のため、細貝はできる限りのサポートをしている 【島崎英純】

 そのマネとチーム内でポジション争いをしているのがプレミアリーグのアーセナルから期限付き移籍してきた浅野拓磨だ。9月のはじめ、日本代表に招集されてUAE代表、タイ代表との試合をこなした彼は2日前にチームへ帰還した。浅野もマネと同じくチームに加わって日が浅く、苦闘の日々が続いていた。

 トップチームの紅白戦が始まった。細貝、マネ、浅野は同じチームに組み込まれている。パスを受けられずに天を仰ぐマネを見て、細貝が英語で声を上げる。

「マネ! ムーブ!」

 一方の浅野も積極的にフリーランニングを仕掛けるが、一向にパスが出てこない。するとアンカーの細貝が再び、今度は日本語で大声を発した。

「拓磨、(ボールを)呼べ! 呼べ!」

 バックラインの選手たちが自陣でビルドアップを始める時、彼らが真っ先に視野を広げて探すのはアンカーの細貝だ。彼らから手招きするようにパスを受けた細貝が、すぐさま振り返って前を見据える。ピンポイントで右サイドを疾駆する浅野へフィードパスを出した。その直後、左サイドバック(SB)の選手が躊躇(ちゅうちょ)してオーバーラップを控えると、細貝はすぐさまドイツ語で「ゲー(前へ)!」と言ってプレーを促した。

「左SBの選手は知らない(笑)。多分、この日だけ練習に参加したユースの選手だと思う。急にトップチームの練習に参加して、萎縮しているようだったから『自分の持ち味を出して良いんだよ』って意味で『前へ行け!』って言った。そういう何気ない一言でも、選手は背中を押される気持ちになるから。自分もそうだったからね」

 練習が終わり、市内中心部で食事をとっていると、浅野からメールがきた。明日のカイザースラウテルンとのアウェー戦に際して、チームから選手にスケジュール表が送られてきたが、移籍したばかりの浅野はまだドイツ語が不十分なため、日本語へ訳してほしいらしい。「よし!」と言った細貝は、おもむろにラップトップパソコンを開き、すらすらとドイツ語を訳していく。

「えーっと、遠征時の服装はジャージ、下のパンツは黒いやつ。クラブハウスを夕方に出て、あっちのホテルには夜に着く。ホテルに着いたら、トマトスープが出るって書いてある」

 細貝は11年初頭に浦和レッズからブンデスリーガのレバークーゼンへ完全移籍し、直後に2部のアウクスブルクへ期限付き移籍した。移籍当初は全くドイツ語を話せず、不安を抱えながらプレーを続けた。それから懸命に勉強して言語を習得し、今では現地の言葉を理解できるようになった。それでも、周囲に協力者がいるに越したことはない。

「拓磨の実力は日本人である俺が一番分かっている。俺が今すべきことは、シュツットガルトの勝利を目指して、今季2部から1部へ返り咲くこと。そのために、拓磨が実力通りの力を発揮できるように手助けする。当然のことだよ。まあ俺はトマトが嫌いだから、トマトスープは飲まないけど(笑)」

一番の理解者だったルフカイ監督が辞任

ドイツでの一番の理解者であるルフカイ監督(中央)が突如、辞任した(写真はアウクスブルク時代のもの) 【写真:アフロ】

 現地時間9月15日。まだシュツットガルトの住居が決まっていない細貝は、いつものように宿泊するホテルから徒歩でクラブハウスへ向かった。この日はチーム全員で朝食を共にし、ミーティングを挟んで午前、午後の2部練習と1日掛かりのトレーニングが予定されていた。しかし、朝食の場にルフカイ監督の姿がない。異変を察したチームメートがスマートフォンを取り出してネットサーフィンすると、そこにはドイツのメディア発信でルフカイ監督が突如、辞任したことが伝えられていた。

 細貝がヘルタからシュツットガルトへ完全移籍した理由のひとつにルフカイ監督の存在があった。

 ヘルタに所属していた15−16シーズンの細貝は、ルフカイ監督が解任されて新たにパル・ダルダイ監督が就任した直後から不遇を囲い、トルコのブルサスポルへ期限付き移籍を決断した。その判断は正しく、ブルサでチームの一員として認められた彼は果てしない充実感を得た。クラブ、監督、チームメート、サポーターの信頼を受けてピッチに立つことがどれだけ有意義なことかを知った。だからこそ、シーズン終了後にいったんヘルタへ帰還しても、意思は揺るがなかった。自分の力を欲してくれるクラブのために闘う。それ以外に、プロサッカープレーヤーが成すことなどない。

 しかし、ドイツでの一番の理解者だったルフカイ監督が、またしても自らの前から去ってしまった。それでも戦いは続く。志は不変だが、現状を理解して再び前を向くには、少しだけ時間が掛かった。

 新任のハネス・ボルフ監督はドルトムントU−16、U−19監督を歴任し、アンダー世代のドイツ選手権で3連覇を達成した実績を買われ、シュツットガルトの指揮官に就任した35歳の俊英である。ただ選手からすれば、現場の最高指揮官の年齢など関係ない。再び勃発するチーム内競争を迎えるに当たり、細貝には不安が渦巻いていた。

 実際、彼は新監督の初戦となったアウェーのVfLボーフム戦前に「今週の練習はあまり良いパフォーマンスを見せられなかったから、ベンチに回るかもしれない」と弱気な言葉を吐いてもいた。しかし結局、彼は今もアンカーのレギュラーとしてスタメンフル出場を続けている。

「ヘルタ時代にルフカイ監督からダルダイ監督に代わった時、俺は全くチャンスを与えられなかった。新監督が来た初日からトレーニングマッチに出場させてもらえなかったし、脇でゲームを観ていたら、『邪魔だから帰れ』ってクラブハウスへ引き上げさせられたこともあった。その時の経験があるから、シーズン途中に監督が代わると緊張してしまう。しっかりプレーしているつもりだけれど、監督によって選手への評価は変わる。それはヘルタ時代だけじゃなく、日本代表でもそうだった」

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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