ブルサスポルで再生を図る細貝萌 新天地トルコで取り戻した自分らしさ

島崎英純

突然訪れたヘルタからの移籍

細貝の新天地ブルサスポルのホームスタジアム「アタトゥルク・スタジアム・ブルサ」の正面。壁には歴代のオーナーとクラブエンブレムが飾られている 【島崎英純】

 少し前の話だ。日本のニュースで、こんな一報が流れた。

『サッカーのトルコ1部リーグ、ブルサスポルの細貝萌は、ホームのシバススポル戦に後半9分から出場した。試合は1−0で勝った』

 ブルサはトルコ北西部にある人口約62万人のトルコ第四の都市だ。この地で有名なのは温泉とウインタースポーツで、市内郊外にはハマムと呼ばれるトルコ伝統の温泉施設があり、冬場には標高2443メートルを誇るウルダー山でスキーなどを楽しめる。ブルサへはトルコ経済、文化、歴史の中心地であるイスタンブールからマルマラ海をフェリーで渡り、約1時間半で着く。緑豊かな公園が並ぶ町並みから、ここは『緑のブルサ』という異名を持つ。

 2015年8月26日(現地時間)。ドイツ・ブンデスリーガ、ヘルタ・ベルリン所属の細貝萌はトルコ1部リーグのブルサスポルと期限付き移籍契約を交わし、急きょ渡航した。ブルサスポル側からの「すぐに来てほしい」との連絡を受け、着の身着のまま降り立ったのが実情だった。しかし細貝に迷いはなかった。このままベルリンでくすぶっていても未来が見えない。半ば絶望的な状況の中で彼が下した決断は、新天地での再生だった。

 14−15シーズンの昨季、2部降格圏の17位に沈んだヘルタは15年2月6日にヨス・ルフカイ監督を解任し、クラブOBでリザーブチームを率いていたパル・ダルダイ監督に後任を引き継いだ。ヘルタはここから巻き返しを図り、ダルダイ監督就任後も4勝5分け6敗で負け越したものの、1部残留を決めて今季も同監督体制でチーム構築が進められていた。その中で、細貝は約6カ月もの間、試合出場の機会を得られなかった。チーム内でのアピールが足りなかったのか、監督の志向に合わなかったのか、それとも性格上の問題なのか。とにかく細貝は自己の存在すら否定され、ストレスで体調を崩し、サッカーをプレーできる状態を維持できなかった。

トルコ1部所属の歴史あるクラブ

ブルサ中心地の街並み。中心に大きなモスクがあり緑豊かな町だが、細貝が約5年間過ごしてきたドイツの環境とは大きく異なる 【島崎英純】

 今回細貝が期限付き移籍したブルサスポルは、ブルサを本拠地とするトルコ1部所属のクラブだ。トルコ国内の位置づけでは中堅で、1963年に設立された(トルコリーグ創設は59年)歴史あるクラブでもある。トルコではベジクタシュ、ガラタサライ、フェネルバフチェが国内3強と言われ、この3強以外のクラブがリーグを制したシーズンは過去7度しかないが、そのうちの09−10シーズンにブルサがリーグ制覇を果たしている。現在、ブルサは新スタジアムである緑色のワニの装飾をしつらった「ティムサー・アリーナ」を建設中だが、完成予定を大幅に過ぎた今でも作業が進まず、今のところは79年から使用して老朽化が激しい約2万5000人収容の「アタトゥルク・スタジアム・ブルサ」でホームゲームを開催している。

 ブルサで久しぶりに会った細貝は、体調こそ回復傾向にあったものの、その胸中はまだ揺らぎのある不安定な状態にうかがえた。

「よく来たね。どう、ブルサは? 緑が多くて綺麗なところでしょ。でも、海外の観光客の姿は見当たらないよね。ここに来てから、知り合い以外は日本人に会ったことがないよ。聞くところによると、ブルサ在住の日本人の方は4人しかいないらしいから」

 壮麗なモスク、時折流れる呪文のようなコーランのアナウンス、ヒジャーブと呼ばれるベールをまとう女性の方々。トルコはアジアと欧州の二つの大州にまたがる共和国で、三権が分立された政教分離国家だが、国民の99パーセントはムスリム(イスラム教徒)である。したがってブルサも風光明媚(めいび)な都市でありながら、細貝が約5年間過ごしてきたドイツの環境とは大きく異なる。

トルコで再発したストレス性の皮膚荒れ

ヘルタで苦しんでいた時と同様に、ストレス性の皮膚荒れがトルコでも再発していた 【Getty Images Sport】

 細貝に現在の調子を尋ねると、彼は伏し目がちにこう答えた。

「8月末にこっちに来て、すぐに先発して3試合出場した。でも、その後は3試合連続でベンチ外になって、この前の第9節のカスムパシャとのアウェー戦で久しぶりにベンチ入りしたけれど、結局出場はできなかったんだ」

 実はトルコに来て、彼の身体に再び異変が起こっていた。手足がただれ、皮膚が荒れる病気だった。

 11年初頭に悩み抜いた末にJリーグの浦和レッズからブンデスリーガのバイヤー・レヴァークーゼンへ移籍した時、直後に期限付き移籍で2部のアウグスブルクへ行った時、そして今回、ヘルタでじくじたる立場に置かれた時。そのいずれの時期でも、彼の身体は突如アラート状態を示し、全身の皮膚が荒れて体調を崩した。すべてはストレスから来るもので、皮膚がただれ、その部位から菌が入って膿ができると、就寝できないほどの痒みに襲われることもあった。

 ベルリンでも苦しみ抜いた体調不安が、ここトルコでもまた起こっている。果たして彼は、この地で復活できるのだろうか。

「ブルサスポルのチームドクターにはちゃんと報告して、処置の方法も受けているよ。でも、その状況を監督のエルトゥールル(・サーラム)が知っているかどうかは分からない。でもね、それでもベルリンに居た頃よりは信頼を得られている感触はある。ベルリンでは紅白戦の人数が足りなくてユース選手を借り出したこともあったのに、そのユース選手が紅白戦に出て、俺はグラウンドの周りを走らされたりしてたから。それに比べればまったく環境は変わった。あとは自分次第。自分の特徴を把握してもらって、試合で力を発揮する。今はそれしか考えていない」

 だが、それでも細貝はある悩みを口にした。自らのパーソナリティー、プレーヤースキルの特徴についてだ。

「俺は特に足が速いわけでもなければ、ボールの扱いがうまいわけでもない。だから一見して、何が良いのか分からない。これは今まで出会ってきた指揮官の方々から見て共通する部分だったと思う。つまり練習で俺のプレーを観ていても、あまり評価すべき点が見当たらないってこと。でも、これは自慢するわけじゃないけれど、試合になれば何故俺がピッチに立っているかを分かってくれると思う。だから俺には、やっぱり試合出場の機会が必要なんだよ。それを勝ち取るのが難しいんだけれどね」

 細貝はトレーニング中にガムシャラなプレーをしないという。欧州のクラブでは練習中でも味方選手同士が足を削り合い、時に殴り合いの喧嘩に発展することもあると聞く。しかし細貝は、その中であえて感情を抑制し、秩序立った振る舞いを続けてきたと言う。

「もちろん、そのような環境で戦ってきたわけだけれど、自分の中の考えとしては、練習中に味方選手を削ってけがをさせてしまったら本番に響くでしょと思ってしまう。すべて、こっちの文化に合わせなければいけないというのはおかしいと思う。自分は常に本番で全力を尽くすために戦ってきたし、チームに在籍する選手は皆味方で、敵対し合うものじゃないと思っている。それが甘さと捉えられるのかもしれないけれど、少なくとも俺は違う。とにかく本当に、試合での俺を見て評価してほしい。ピッチに立ったら、相手を敵と認識して全力で当たりにいくから」

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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