「最高の陣容」で期待が膨らむバルセロナ ネイマールは金メダルを携えて帰還へ

五輪でブラジルが初の金メダルを獲得

無数のプレッシャーに耐えながら、ネイマールがキャプテンとしてチームを率いて自国開催の五輪で金メダルを獲得した 【Getty Images】

 バルセロナファンが描く夢は、8月20日(現地時間)を経て大きく膨らんだことだろう。ベティスをカンプノウに迎えた開幕戦では、リオネル・メッシが最高レベルのプレーを取り戻し、ルイス・スアレスもハットトリックを記録して6−2と大勝した。

 だが、世界中のバルセロナファンにとって最大の朗報は、大西洋の対岸から届いた。ネイマールがブラジル代表のキャプテンとして全ての重責を背負い、無数のプレッシャーに耐えながらリオデジャネイロ五輪で、ブラジル史上初の金メダル獲得を果たしたことである。

 数カ月前、バルセロナはブラジルサッカー連盟(CBF)と交渉し、ネイマールをコパ・アメリカ・センテナリオと五輪の両方ではなく、どちらか1つのみ参加させることで合意に至った。その際、CBFが地元開催の五輪に総力を結集したのは、結果的に正しい決断となった。そうでなくとも、コパ・アメリカのタイトル奪還は五輪のそれほど急を要していたわけではないし、3年後には自国開催のチャンスもある。

苦しいスタートも、ドイツに雪辱を果たす

格下に連続で引き分けるという苦しいスタートを切ったブラジルだったが、徐々にチーム状態は上向きに 【Getty Images】

 しかし自国開催で迎えた五輪で、ブラジルは格下の南アフリカ、イラクと連続で引き分ける苦しいスタートを強いられた。そのため地元ファンはふがいないプレー内容に対する不満を爆発。大多数の地元メディアがスター選手のマルタを要する優勝候補の女子代表チームを引き合いに出して痛烈な批判を繰り広げた。

 だが、ロジェリオ・ミカーレ監督率いるチームが落ち着きを取り戻し、やみくもに走ることをやめ、ブラジルの伝統的スタイルに近いリズムでプレーできるようになるためには、グループリーグのうちに1つ良い結果を出すだけで十分だった。

 決勝では1950年のワールドカップ(W杯)決勝でウルグアイに敗れた舞台であるマラカナンスタジアムにて、2年前のW杯準決勝で1−7という屈辱的大会を喫したドイツに雪辱を果たした。PK戦による決着だったものの、この日のブラジルはライバルを上回る最高のプレーを見せた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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