夏の甲子園で150キロ超えの球児たち 松坂、新垣から始まったロマン
夏の甲子園で初めて150キロ以上を記録した沖縄水産高・新垣 【写真=BBM】
松坂は杉内との投げ合いで
怪物・松坂は鹿児島実業高・杉内との投げ合いで大台を記録 【写真=BBM】
スピードガン表示が導入され、最初に150キロを超えたのが98年夏の甲子園大会、沖縄水産高・新垣渚(現東京ヤクルト)だった。1回戦の埼玉栄高戦で151キロを計測。しかし、試合は4対5で敗戦し、涙をのんだ。この大会ではもう一人、150キロ以上を投げた投手がいる。横浜高・松坂大輔(現福岡ソフトバンク)だ。準々決勝でPL学園高と延長17回の死闘を繰り広げ、決勝では京都成章高を相手にノーヒットノーランを達成し春夏連覇を成し遂げた男が、もう一つの伝説を作っていた。
2回戦、好投手の杉内俊哉(現巨人)を擁する鹿児島実業高との一戦。2人の投げ合いを楽しみに5万3000人の観衆が集まった。その2回表に松坂が151キロの真っすぐを投げ込んだのだ。「平成の怪物」と言われながらも、甲子園で150キロ以上を計測することがなかっただけに、大きな話題となった。
寺原は154キロを記録
21世紀に入って初めて150キロを記録した日南学園高・寺原 【写真=BBM】
そして、2戦目となる玉野光南高戦。平日ながら寺原の有言実行を見ようとファンが殺到し、入場券が完売。その時は6回に訪れる。2死一、二塁の場面。1ボール2ストライクからの4球目、うなりをあげた速球が外角低めへ。打者は必死にバットに当てたが、これがテレビ表示で154キロ。夏の甲子園最速、松坂超えの瞬間に甲子園も大きくどよめいた。
その後は、05年に大会NO.1左腕の大阪桐蔭高・辻内崇伸(元巨人)が春日部共栄高戦で152キロ、同年の決勝で駒澤大苫小牧高の2年生投手・田中将大(現ヤンキース)が150キロ。06年に八重山商工高・大嶺祐太(現千葉ロッテ)が智弁和歌山高戦で151キロを計測するも、寺原の154キロを抜くことはできなかった。