イチローの活躍を予見した元中日パウエル その理由は「挑戦を恐れていなかった」

丹羽政善
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かつて中日で3年連続首位打者を獲得したパウエル現アストロズコーチ 【丹羽政善】

 1992年5月に来日。その年は88試合に出場して打率3割8厘、13本塁打をマークした元中日のアロンゾ・パウエル(現アストロズ打撃コーチ補佐)。翌93年は97試合に出場すると、打率3割1分7厘、27本塁打を記録した。彼が日本プロ野球球界に名を残すのはその翌年から。94年に打率3割2分4厘でセ・リーグの首位打者となり、95年は打率3割5分5厘、96年は3割4分で3年連続首位打者を獲得した。
 
 ちょうど同じ期間、パ・リーグで首位打者を取ったのがイチローである。イチローはその後、首位打者を7年連続まで伸ばした後に、大リーグへ移籍する。

 パウエルは故障もあって連続首位打者は3年で途切れたが、「イチローに刺激を受けた」と振り返り、こう語った。

「リーグは違ったが、イチローに打率で勝ちたいという思いがあったからこそ、あの時の自分がある」

初めて会ったのは「93年の春」

 米国で再会したのは2006年のこと。10年にはマリナーズの打撃コーチに就任。ついにイチローと同じユニホームを着ることとなった。そのパウエルが、イチローとの出会いから、その後の交流までを語ってくれた。

 イチローと初めて会ったのは、「1993年の春かな」とパウエル。間には、阪急(現オリックス)時代の84年に三冠王を獲得したブーマー・ウェルズが入ったという。
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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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