P・ローズのプレースタイルを振り返る イチローとの類似点、相違点とは?

菊田康彦
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 この世に生を受けたのがオハイオ州シンシナティなら、育ったのもシンシナティで「世界中のどこよりわが町を愛しているし、骨の髄までシンシナティ気質が染み込んでいる」という生粋の“シンシナティっ子”。ピート・ローズことピーター・エドワード・ローズにとって、地元シンシナティ・レッズへの入団は少年時代からの憧れだった。

 その憧れが現実となったのは1960年夏のこと。マイナーで3年プレーしたのち、63年の春にメジャーのキャンプに呼ばれると、初めてのオープン戦に張り切るルーキーに相手側のベンチからこんな声が飛んだ。

「いいぞ! チャーリー・ハッスル」

 声の主は、のちに殿堂入りするニューヨーク・ヤンキースのホワイティ・フォードとミッキー・マントル。四球を選ぶや否や全速力で一塁に駆け出す初々しい姿を見て、当時のメジャーリーグを代表するスーパースターがからかい気味にかけた言葉が、ローズにとって終生のニックネームとなった。

【データおよび画像提供:データスタジアム】

「いつも野球にはものすごい情熱を傾け、そして接してきた。全力プレーを心がけてきた」

 ローズは自著にそう記しているが、その“ハッスル”ぶりはルーキー時代のみならず、24年間の現役生活の間、変わることはなかった。筆者の記憶にまざまざと刻まれているのは、レッズの一員として来日した78年の日米野球でのひとコマ。その頃のメジャーリーガーの感覚からすれば観光を兼ねた親善試合だったはずだが、ローズは打球が外野手の間に落ちるのを見ると、猛然と一塁ベースを蹴ってトレードマークのヘッドスライディングで二塁に飛び込んでいったのだ。まさに「跳ぶ男」。その強烈なプレースタイルは、日本ではなかなか味わえない興奮を与えてくれた。
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著者プロフィール

静岡県出身。地方公務員、英会話講師などを経てライターに。メジャーリーグに精通し、2004〜08年はスカパー!MLB中継、16〜17年はスポナビライブMLBに出演。30年を超えるスワローズ・ウォッチャーでもある。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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