ハーフナーがオランダ全国紙に語った本音 代表復帰とW杯ロシア大会への思い

中田徹

「今季一番のサッカーができた」

2−2で引き分けたものの、ハーフナーは古巣フィテッセとの試合を「今季一番のサッカーができた」と振り返った 【Getty Images】

 11月22日、ADOデンハーグがホームスタジアム、京セラ・スタディオンに迎えたのは、オランダリーグ5位のフィテッセだった。フィテッセのサッカーは、オランダ国内でも評判が高い。チェルシーとの提携関係を結んでいることもあり、毎年、入れ代わり立ち代わり多くの期限付き移籍選手がアーネム(フィテッセの本拠地)の地を訪れ、ペーター・ボス監督の手腕によって、フィテッセは最もオランダらしいクラブに仕上がっていく。とりわけ今季はチームビルディングのテンポが早く、シーズン序盤から見ていて面白い鮮やかな攻撃サッカーを披露している。

 この日は立ち上がりからフィテッセが試合のイニシアチブを握り、グラウンダーのパスでADOデンハーグの守備網を揺さぶり続けた。ハーフナー・マイクもフィテッセのセンターバックコンビへのプレスをかけられずに苦労し、とりわけマイケル・ファン・デン・ウェルフのドリブルには手こずっていた。前半は2−1でフィテッセがリードして終えた。

 後半立ち上がりの6分、試合の流れを変えるゴールが決まった。ADOデンハーグの守備的MFティモシー・デライクがPKを決めて、2−2に追いついたのである。その1分前、相手チームのDFケビン・レールダムのホールディングによってPKを奪ったのはハーフナーだった。

 試合後のハーフナーによれば、実はこのPKは自らもらいにいったものだった。今季のハーフナーはここまで8得点とゴールを量産しており、とりわけクロスへの競り合いで制空権を握っている。そのため、ペナルティーエリア内でマーカーにホールディングされるケースが多いが、これまではなかなかレフェリーがPKをとってくれなかった。そのことの不満は、試合後のオランダテレビ局向けインタビューで何度かハーフナーもこぼしていた。ようやく13節目にしてPKを奪い、ハーフナーはこう語った。

「あれはもう、自分から狙いました。で、(相手を)倒しましたね。そろそろ(PKを)とってくれるだろうなと思っていました。テレビのインタビューでもそういう話をしていて、たぶん審判の間でも『マイクがよくつかまれているから』という感じで言われていたと思う。だからそれを逆に利用した感じです」

 しかしながらPKキッカーはハーフナーではなかった。ヘンク・フレーザー監督が指名したのはハーフナーだったものの、デライクがボールを持つ姿にハーフナーも「これ、ちょっとボールを取ったら“あれ”かなと思って、やめておいた」と遠慮してしまった。しかし、「得点ランキングも首位の方(4位タイ)なんで普通、自動的に蹴らせろよ」とハーフナーは得点王への思いを口にしていた。

 2−2と追いついてからのADOデンハーグは、左右からのクロスをゴール前に何度か送り、ハーフナーが空中で競り合ったかと思えば、時にはおとりになってチームメートが裏からゴール前に入ってきたりと迫力ある攻撃を披露。2年半過ごした古巣相手に、ハーフナーは「今季一番のサッカーができた」と胸を張った。

オランダで高まるハーフナーへの注目度

「最後のチャンス」と、ハーフナー(左)は代表復帰、W杯ロシア大会への思いを語る 【Getty Images】

 このごろ、ハーフナーに対する注目度がオランダで上がってきている。フィテッセ戦直前には、『フットボール・インターナショナル』誌の電子版が、「今季のハーフナーは11試合出場で8ゴールを決めている。彼はフィテッセ時代、最初の8ゴールを決めるのに34試合を費やした。ADOデンハーグに来てからハーフナーは得点力をアップさせている」と記していた。また、この日の記者席には「今度うちでハーフナーの特集記事を書くんだ」という記者もいた。

 フィテッセ戦後、ADOデンハーグの広報、ロナルドは「マイクのインタビューが全国紙『アルへメーン・ダッハブラット』に載ったんだぜ」と言って、すぐに記事をメールしてくれた。試合前日の21日に載ったという、このハーフナーのインタビュー記事には彼の本音がいっぱい詰まっていた。普段、日本代表のことを問われても「(代表に呼ばれなかったことについて)特に何も感じてないです。(レターが来ても)それだけです。レターというのは、最初の候補の50人に送られるようなものじゃないですか。ただ単に招集する可能性がありますよというレターなだけで、いつもと変わらないです」と素っ気ない男は、『アルへメーン・ダッハブラット』紙にはこうぶちまけていた。

「(11月のインターナショナル・マッチウィークで日本代表に選ばれず)とてもガッカリしている。日本に住む友人も、僕が代表に選ばれると思っていた。僕はロシアのワールドカップ(W杯)に参加したいと思っている。これが僕にとって最後のチャンス。ブラジル大会までの3年間、僕は日本代表にいたけれど、最後の数カ月で外れてしまった。アルベルト・ザッケローニ監督(当時)の説明では、代表チームはグラウンダーのパスサッカーをしたいということだった。でも何が実際に起こったか。グループリーグでの3試合すべてで、最後の時間帯はロングボールを蹴っていた」

 この記事の中で、ハーフナーは虎視眈々(たんたん)と得点王を狙っているとことも明かしている。このタイトルさえ奪うことができれば、誰もが納得の日本代表復帰となるはずだ。
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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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