イラン戦で明らかになった日本の課題 「妥当な結果」の裏側にある不安要素

宇都宮徹壱

日本戦で「5万人を集めるのも難しい」理由とは?

観客を盛り上げるイランのおじさんコールリーダー。シャツにはハディ・ノルジの写真がプリントされている 【宇都宮徹壱】

 イラン対日本の親善試合が行われる、テヘランのアザディ・スタジアムはアジア最大級のスタジアムである。現在の収容人数はセキュリティーを勘案して8万人くらいになっているが、スタジアム内のワーキングルームには「10万人スタジアム」と書かれたパネルが掲げられていたので、かつてはそれ以上の大観衆を集めたこともあるようだ。1974年の第7回アジア競技大会のメイン会場として71年に完成。イラン革命(79年)以後も、イランのナショナルスタジアムとしての役割を果たし続けている。

 日本のサッカー関係者およびファンにとって、2005年3月25日のワールドカップ(W杯)アジア最終予選、アウェーのイラン戦(1−2)は、会場の雰囲気の異様さにおいて、今や伝説となった感がある。何しろ10万人収容のスタンドが、男性のみで埋め尽くされていたのだから当然であろう(イランでは法律により、女性のスポーツ観戦が禁じられている)。これまで私も、世界中のさまざまなスタジアムで取材してきたが、10万人もの男たちが一斉に歓声と怒号を発する光景を目の当たりにしたのは、後にも先にもこの試合のみである。

 今回のイラン戦について、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督からは「強い相手とやりたい」というリクエストがあったという。これに「アジアにおける究極のアウェーの地」という(おそらくは日本サッカー協会側からの)アイデアが加わり、今回のカードが実現したと推察される。もっとも、迎えるイラン側の認識は「5万人を集めるのも難しい」というものであった。イラン代表のカルロス・ケイロス監督は「平日午後5時からのキックオフなので(集客は)難しいだろう。それでも5万人を集めるのがわれわれの仕事なので、私自身もどんどんプロモーションしていきたい」と語っている。

 集客で苦戦しているもうひとつの理由として考えられるのが、イラン代表をめぐる状況である。現在、W杯アジア2次予選グループDを2勝2分け負けなしのトップに立っているイランだが、勝ち点8でオマーンと並んでおり、得失点差でわずかに上回っている状況だ(イラン+9、オマーン+3、その後オマーンが13日のインド戦に3−0で勝利し1位に浮上)。過去4大会のW杯に出場している中東地域の盟主としては、極めて承服し難い状況である。代表に対する視線が厳しくなる中、果たしてどれだけの観客が足を運んでくれるのだろうか。もっともキックオフ以後も観客は増え続け、ハーフタイムには両ゴール裏を除く1階席が埋め尽くされていた。おそらく4万人くらいにはなっていたと思われる。

シリア戦から5人を入れ替えた日本代表

シリア戦から5人を入れ替えて試合に臨んだ日本代表。森重(左)も久しぶりの出場でチーム内の競争は激しい 【Getty Images Sport】

 結局、イメージしていた「究極のアウェーの地」とならなかった今回のイラン戦。しかしそれでも、FIFA(国際サッカー連盟)ランキングでの格上とアウェーで対戦するという事実に変わりはない。加えてイランは、5日前のオマーンとのアウェー戦を1―1で引き分けており、いくら親善試合とはいえホームで日本に負けるわけにはいかないという事情を抱えていた。そうした厳しいシチュエーションの中、ハリルホジッチ監督はこれまで固定化してきたメンバーのうち「何人かの選手を替える」ことを前日に明言。注目のスターティングイレブンは、以下のようになった。

 GK西川周作、DFは右から、酒井高徳、吉田麻也、森重真人、米倉恒貴。中盤は守備的な位置に長谷部誠と柴崎岳、右に本田圭佑、左に宇佐美貴史、トップ下に香川真司。そしてワントップは武藤嘉紀。シリア戦から5人入れ替わったという意味では、「50パーセントの変更」というハリルホジッチ監督の予告どおりである。

 とはいえ、森重にしても柴崎にしても武藤にしても、現体制になって何度か出番を与えられている。あえて「抜てき」という表現がふさわしいのは、東アジアカップ対中国戦(1−1)以来の出場となる米倉のみ。あの試合では1アシストを記録しているが、この大舞台でどれだけアピールできるだろうか。対するイランのスタメンは、オマーン戦から2名が替わった。いつもキャプテンマークを付けている、14番のアンドラニク・テイムリアンがけがでもないのにベンチに座っているところを見ると、いつものメンバーを中心に若手にもチャンスを与えているという印象である。

 さて試合を振り返る前に、試合前に行われた追悼セレモニーについて触れておきたい。日本とイランの選手たちが一輪ずつ花を捧げ、さらに観客全員の黙祷でその死を悼んだのは、元イラン代表のハディ・ノルジ、享年30歳である。イランの名門、ペルセポリスでキャプテンを務めていたFWの選手で、10月1日に突然の心臓発作に襲われて亡くなったという。故人の背番号24に因み、前半24分にはスタンドの観客が総立ちになって「ハディ・ノルジ!」と叫びながら拍手でその魂を天上へと送り出した。

 あとで調べてみると、ペルセポリスのユースチームにいたノルジをトップチームに引き上げ(08年)、さらに彼を代表デビューさせたのは(09年)、ペルセポリスとイラン代表監督を歴任し、その後清水エスパルスに迎えられることになるアフシン・ゴトビであった。そんな細い糸のような日本との縁は感じるものの、ハディ・ノルジがどんな選手だったのか私は知らない。それでも、この国における死者を送り出す儀式をスタジアムで目撃できたのは、極めて得難い経験となった。あらためて、故人の冥福を祈りたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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