海外挑戦を目指す若手選手へ“先駆者”宮市亮からの金言「自分に合ったレベルで試合に出続けるのが一番重要」
今になって思えば急いで階段を登りすぎた
アーセナル加入後、すぐに期限付き移籍したフェイエノールトでは約半年間プレー。ここでもう少し経験を積んでいれば、「その後のキャリアは違っていたかもしれない」と振り返る 【Photo by Kaz Photography/Getty Images】
3人とも常に自分のレベルに合った環境に身を置いて、着実にステップアップしてきた選手だと思います。それはサッカー以外のところにも影響していて、彼らは常にポジティブなエナジーを放っているんですよね。例えば当時の真司くんはマンチェスター・ユナイテッドでプレーしていて、ものすごいプレッシャーに晒されていることを近くにいながら感じていました。でも常にポジティブだったんです。その背景を想像してみると、セレッソ大阪でプロ選手としてのキャリアを始め、着々と自信をつけながらステップアップしてきたからなのではないかと思います。彼のように一歩ずつ段階を踏むことの大事さは、近くにいたからこそ感じられたのかもしれません。
――それでも「Jリーグを経験しておけばよかった」と思うことはなかったですか?
なかったですね。むしろフェイエノールトにもう少し長くいればよかったなと思いました。若手の育成に定評のあるフェイエノールトでもう1年、あるいは数年プレーしていれば、その後のキャリアは違ったものになっていたかもしれない。今になって思えば、急いで階段を登りすぎたのかなと思います。
――宮市選手はフェイエノールトの他に、ボルトン、ウィガン、トゥエンテと3クラブへの期限付き移籍を経験しています。試合経験を積むためとはいえ、若い選手が期限付き移籍を繰り返すことはメリットばかりではありませんよね。
難しさはもちろんあります。期限付き移籍先は“自分のチーム”ではないので、所属している他の選手たちから「お前はどうせアーセナルに戻るんだろう」という目で見られることもありました。でも、もともとの所属選手だろうと期限付き移籍の選手だろうと結果を出さなければ生き残っていけない世界です。
結局のところ試合に出られるかどうかは自分の取り組みや姿勢次第で、もし出られなければ実力がなかっただけ。試合の中で成功体験を積み重ねていくことでしか壁を乗り越える方法はないですし、そのためのチャンスは自分自身でつかみ取っていかなければならないのがプロの世界なので、移籍するたびに毎回新しい気持ちで挑戦できていました。
――英語はいつごろ話せるようになったのでしょうか。
遅いのか早いのかわからないですけど、インタビューを英語でできるようになって、ようやく自分が話せているなと感じたのはヨーロッパに渡ってから1年半くらい経ったころですかね。相手が言っていることは1カ月くらいでわかるようになるんですが、なかなかアウトプットできないんですよ。
――日本人選手の多くは海外で言葉の壁にぶつかります。宮市選手は移籍前から語学の勉強はしていましたか?
本格的に英語の勉強を始めたのはアーセナルと契約することが決まってからでした。英語や現地の言語を操れるに越したことはないし、サッカーをするだけでなく生活もしていかないといけないので、語学は間違いなく重要です。後々の人生においてもすごく大事になるので、海外志向の強い人は絶対に語学をやっておいて損はないし、やるべきだと思います。とはいってもサッカーのレベルが他を超越していれば、言語は関係なくなってくるんです。例えばプレシーズンで一緒にプレーしたアレクシス・サンチェス(現ウディネーゼ)は当時全く英語を話せなかったのですが、うますぎて言葉を交わせなくてもリスペクトされていましたから(笑)。
より高いレベルで活躍するには人間性を磨くことも重要
仮にいま自分が18歳だとしても「やっぱり海外に行くと思います」と宮市。Jリーグを経験せずにヨーロッパに渡った決断に後悔はない 【撮影:舩木渉】
まず海外に行くことを決めているなら、「もっと英語を勉強しなさい」ということ。そして「君は自分のレベルに合ったところにいるのか?」ということ。「いち早く高いところへ行きたいからといって、背伸びして自分に合っていない環境に飛び込もうとしていないか?」と伝えたいですね。先ほども言ったように、どんな道をたどっていったとしても、ステップアップした先に目指すゴールは変わらないですから。
――では、少し視点を変えます。頭の中と心が現在の宮市選手で、年齢が18歳だったとしたらどういう進路を選びますか?
やっぱり海外に行くと思います。でも、フェイエノールトでもっと長くプレーするかな。期限付き移籍の期間が終わってアーセナルに復帰するときも、フェイエノールトは「もっと長く残ってほしい」という意思を示してくれて、その後も何度かオファーをくれていました。それでも僕はアーセナルに戻ることを選びましたが、18歳だった当時の自分にはオランダリーグやフェイエノールトの環境がすごく合っていたし、成長していくために適切な環境だったと思います。
――長年にわたって「若い選手は早く海外へ行ったほうがいい」と多くの選手が主張してきました。ただ、強い表現であるがために海外挑戦にあたって持っておくべき知識や前提、例えば宮市選手が言うような「自分に合った環境かどうか」といった要素が抜け落ちたまま伝わっている危うさがあると感じています。これから海外で活躍することを目指す若い選手たちに、キャリア選択において大切にすべきことをどう伝えていけばいいと考えますか?
自分の最終目標が海外にあるなら、そのためのルートを選ぶべきですが、何度も言っているようにその選び方が重要です。高校を卒業した後の進路がJリーグだったとしても、大学だったとしても、遠くにある目標にたどり着くためなら全て正解。Jリーグも今はヨーロッパの主要リーグと変わらないクオリティになっていますし、技術レベルに関してはJリーグのほうが高いくらいです。外国籍選手の質も高いし、J1リーグでしっかり活躍した選手なら、いきなりヨーロッパの5大リーグへ移籍しても問題なく戦えると思います。
だからこそ、海外に早く行くことがいい・悪いではなく、自分に合ったプロセスを何よりも大事にしてほしいです。自分がどのレベルにいるかを客観的に把握して、今どこに行かなければいけないのかを考えていくことが、いずれ自分が居たい場所にたどり着くことにつながります。海外で早く活躍すればするほど、後にすごい世界が待っているのは間違いないし、ビッグオファーが届いたらすぐに飛びつきたくなるかもしれないですが、一度立ち止まって、時には周りの大人に相談しながら、その選択肢が自分にふさわしいのか考えるのはすごく大事だと思います。
そして、より高いレベルで活躍していくには人間性を磨いていくことも重要です。アーセナルで僕に関わってくれた選手は本当に素敵な人ばかりでした。ミケル・アルテタ(現アーセナル監督)はいつも僕のことを気にかけてくれて、当時から監督みたいなパーソナリティの持ち主でした。オリヴィエ・ジルー(現ロサンゼルスFC)やトマシュ・ロシツキー(現役引退)ら活躍していた選手たちはみんな超のつくいい人でしたし、バカリ・サニャ(現役引退)とは今でもメッセージをやり取りすることがあります。
――宮市選手の著書を読んでいて、サニャ選手からもらった「Be Bad!」という言葉がすごくいいなと思ったんです。シンプルな単語の組み合わせだからこそ、いろいろな意味に解釈できます。宮市選手は「もっと自分の意見を主張しろ」と理解したと書かれていましたが、違う意味も含まれているでしょうし、これから海外に挑戦しようとしている若い選手にとって大事な一言になるのではないかと。
プレミアリーグでは世界中から集まったトップクラスの選手たちの中でサバイブしていかなければならず、ギスギスしたところもあります。お人好しでは決して生き残っていけない場所です。そんななかで「もっと自分を出して、ときには悪くなって、喧嘩するくらいでやっていかないと生き残れないよ」ということを教えてくれたのが、「Be Bad!」という言葉でした。サニャは自信を失って消極的になった僕のプレーから優しさみたいなものを感じ取っていたんだと思います。
でも、優しさはときに弱みになります。海外で生き残っていくためには自己主張が必要だし、チームで戦いながらも個人としてどれだけのものを残せるかを常に問われる。特に攻撃的なポジションの選手は、日本人っぽさを消すくらいでないとやっていけません。ピッチ上でチームメイトと喧嘩になることもありますが、向こうが言ってきたことに対してちゃんと言い返さないと舐められますし、パスすら来なくなる。1ゴールで人生が変わるような世界なので、その1ゴールを決めるためにみんなが覚悟を持って競争しているんです。
(企画・編集/YOJI-GEN)
1992年12月14日生まれ、愛知県出身。中学年代から将来を嘱望され、愛知県の強豪・中京大中京高に進学。快足アタッカーとして鳴らし、2年時、3年時に高校サッカー選手権の優秀選手に選ばれ、2009年U-17W杯にも出場した。10年12月にプレミアリーグのアーセナルと契約を結び、高校から直接ヨーロッパへ。加入直後に期限付き移籍したオランダのフェイエノールトでは、レギュラーの座を勝ち取って活躍した。その後戻ったアーセナルでは結果を残せなかったが、期限付き移籍したボルトンやウィガン(ともにプレミアリーグ)、トゥエンテ(オランダ1部)で経験を積み、15年夏にドイツ2部のザンクトパウリに完全移籍。ここで5シーズン半プレーした後、21年7月に横浜F・マリノスに加入し、22年にはJ1リーグ優勝に貢献した。12年5月にデビューした日本代表では通算5試合・0得点。