【明治大ラグビー部座談会】経験者が振り返る“花園”の舞台 「高校を卒業しても、もう1回行きたくなるくらいの大会」

斉藤健仁

上段左から物部、大川、下段左から海老澤、伊藤。花園を経験し、今季は紫紺のジャージーで活躍中 【写真/斉藤健仁】

 紫紺のジャージーで名高い明治大学ラグビー部。昨季の全国大学選手権は惜しくも準優勝に終わり、今季は「奪還」をスローガンに掲げている。ここまで関東対抗戦3位で大学選手権は3回戦からの登場となったが、難敵・東海大(関東リーグ戦3位)を50-17で下し、12月22日に天理大(関西1位)との準々決勝に挑む。

 名門である明治大学には当然、「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場した選手も多く在籍。そこで東海大戦で活躍した2年生4人に高校時代を振り返ってもらいつつ、12月27日から開幕する花園に向けて後輩たちにエールを送ってもらった。(12月8日実施)

■対談メンバー(出身校)
LO 物部耀大朗(愛知・中部大春日丘、3年時キャプテン)
FL 大川虎拓郎(福岡・東福岡、3年時キャプテン/優勝)
SO 伊藤龍之介(栃木・國學院栃木、2年時/準優勝、3年時キャプテン)
WTB 海老澤琥珀(兵庫・報徳学園、3年時副キャプテン/準優勝)

対戦時の感想は…「東福岡にはかなわない!」

――それぞれの高校を選んだ理由を教えてください。

伊藤 寮生活がしたかったし、ほかの強豪校への進学も考えたんですけど、花園でプレーしたかったので試合に出られる可能性のあるところに行こうと思いました。兄(耕太郎/リコーブラックラムズ東京)が進学していたことも大きかった。

物部 小学生の頃から(中部大)春日丘でやっていたアカデミーに行っていてよくしてもらっていたことと、自転車で30分くらいでしたが自宅から通える場所にあったからです。

大川 中学生時代の福岡県選抜の練習相手が東福岡で、ここでプレーしたいと思って希望しました!

海老澤 いろんなところの練習に参加したのですが、報徳学園が一番楽しかったし、自分のプレースタイルが合っていると思い選びました。(同じく東京から報徳学園に進学した明治大の同期SO伊藤)利江人の影響もありましたね。

――高校時代の恩師の指導はどうでしたか?

伊藤 國栃の吉岡(肇)監督は、すごく良い人でした。ラグビーをいろいろ教えるというより、生活面でいろいろと面倒を見ていただき、人としての成長を促してもらいました。

物部 春日丘の宮地(真)監督は、ラグビーが好きで指導を始めた監督で、ユーモアある人ですが威厳があって、めっちゃ怖かった! バスで3~4時間かかりますが、練習や試合では御所実業(奈良)ばっかり行っていました。

大川 ヒガシ(東福岡)の藤田(雄一郎)監督は、いつも冷静ですが熱いときは本当に熱い! ラグビー面も人間性も育ててもらいました。

海老澤 今の自分があるのは、報徳学園の西條(裕朗)監督が僕を矯正せずに自由にプレーさせてくれたからだと思います!

中心選手として花園を経験した4選手。左から、中部大春日丘/物部耀大朗、東福岡/大川虎拓郎、報徳学園/海老澤琥珀、國學院栃木/伊藤龍之介 【写真/斉藤健仁】

――4人ともキャプテンや副キャプテンを務めていました。どんなリーダーシップを発揮していたのでしょうか?

伊藤 僕は声を出して、たくさんしゃべって、ガンガン引っ張る、わかりやすいキャプテンでしたね!

物部 高校3年まで、キャプテンなどリーダーをやったことがなかったので、めっちゃくちゃ苦労しました。とにかく頑張って、意識して何か話そうとしていましたね(苦笑)。

大川 ヒガシは周りの選手のラグビーIQが高くて話す人が多かったので、最後、自分がまとめる感じでした。ただ、あまり話すのが得意ではなかったので、練習や試合でハードワークするようにしていました。

海老澤 キャプテンはFL植浦(慎仁/現・法政大学)でしたが、本当にキャプテンを困らせる副キャプテンでした。邪魔して、右腕になっていなかったです(苦笑)。

――高校3年時の第102回大会は、大川選手がキャプテンを務めた東福岡が報徳学園を41-10で下し、6年ぶり7回目の優勝を飾りました。対戦時の思い出は?

物部 その年の5月、練習試合で東福岡と対戦しました。初戦は東福岡がメンバー落としていたので勝てましたが、次の日に正規メンバーとやって、「これは勝つのは無理や!」と思いました。春日丘は、花園の3回戦で佐賀工業(佐賀)に8-9で負けました。愛知県予選から1トライも取られずに負けました…。

伊藤 東福岡の選手たちと国体で県代表として対戦したことはありますが、高校同士は夏合宿の練習試合でやったくらい。(國學院栃木は前年度準優勝だったので)もちろん優勝したかったですが、3回戦で東海大大阪仰星(大阪)に(7-22で)負けてしまいました。

海老澤 (花園決勝では)ディフェンス、アタックの両面でレベルが違って「東福岡にはかなわないな」と思った。ボコボコにされた悔しさというか、それを通り越していましたね。

大川 思い切ってヒガシのスタイルを変えたのが良かったと思います。アタックよりディフェンスにフォーカスして、自分たちの強みを理解して実行できたのが良かった!

――高校で一番辛かった練習や、それぞれの高校で伝統の練習などはありましたか?

海老澤 菅平高原で夏に行う合宿の「早朝ダボスラン」ですね。朝の6時に(菅平高原の上方にある)ダボスの丘に現地集合でした。そしてダボスでも走ります。合宿中は毎朝でした。高校時代はダボスに行きたくなかったですが、今は楽しいです!

大川 2年生の花園準決勝で(東海大大阪)仰星(22-42)に負けた後、最初の週に80分、コンタクトやフィットネスなど続けてやる練習がありました。特に当時は新型コロナウィルスの関係でマスクをしたままだったので、マジでしんどかった!

物部 当時の春日丘には戸崎(篤司)さんというFWコーチがいて、たまに2時間くらいぶっ続けのフィットネス練習がありましたね。

伊藤 國栃は何もないですね。あったとしても裏の山を登るか、坂を走るくらいでした。

――伊藤・物部選手は3回、大川・海老澤選手は2回、花園に出場したそうですが、一番思い出に残っている試合は?

物部 僕は高校1年生の時の京都成章(京都)戦(準々決勝)ですね。3-14で負けていたのですが、ラストチャンスに自分がノックオンして、ピピィーってノーサイドの笛が鳴った。悔しかった!

伊藤 高校2年の準々決勝、17-7で長崎北陽台(長崎)に勝った試合ですかね。國栃としても、そして栃木県勢として初めてベスト4に入った試合でした。内容も良かったのでよく覚えています。

海老澤 高校3年時の準々決勝で、31-14で仰星に勝った試合ですね。報徳学園は、長い間、仰星に勝ったことがなくて、インターセプトからトライも挙げたし、大舞台で勝てたのは印象的でした!

大川 僕は高校3年時の決勝で、最後の笛が鳴った瞬間ですね。僕たちの前にヒガシが花園で優勝した、箸本龍雅さん(現・東京サントリーサンゴリアス)の代の試合をずっと見ていました。藤田監督に「その瞬間はすごく達成感がある」と言われていたので、よく覚えています。

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著者プロフィール

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーとサッカーを中心に執筆。エディー・ジャパンのテストマッチ全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」、「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「ラグビー「観戦力」が高まる」(東邦出版)、「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス)、「ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「エディー・ジョーンズ4年間の軌跡―」(ベースボール・マガジン社)、「高校ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「ラグビー語辞典」(誠文堂新光社)、「はじめてでもよく分かるラグビー観戦入門」(海竜社)など著書多数。

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