ダバディが語る“クレーコートの王者”ラファエル・ナダル 「『ロジャーを破壊しないといけない』という言葉に衝撃」
インタビューが僕とナダルの関係の大きなターニングポイントに
1時間に及ぶインタビューでナダルについて語ってくれたフローラン・ダバディ氏 【撮影:Shungo Suzuki】
ジャパンオープンで来日した際にWOWOWの企画で1時間くらいのインタビュー機会をもらったんですよ。畳の上で食事をしながらインタビューをしました。食事管理を徹底していた彼は何も食べなかったですけど、いろいろな話はできました。彼の大好きな『ドラゴンボール』の話題で盛り上がりましたね。あのときは心の距離が最も近づいた感じはありました。最初で最後のインタビューと分かっていたら、もっといろいろと聞きたかったです。まだナダルにも隙があったというか。
「子ども時代のトレーニングを後悔しているのか、それを正当化しているのか」といったことや、「世界一の選手になるためには10代のころから苦しまないといけないと分かっていたらギブアップしていたか」とか、もっとパーソナルな部分を知れたらいいなと思いました。それこそ、スペインという国を愛しているか、バリアレス諸島に対する絆は何なのか、シチリアみたいにみんな血がつながっている人ばかりだから隣の人々も親戚と思える場所なのか、とか。いまは聞けないけど、あのときなら聞けたなと。
それでも、そのインタビューはうまくいって、それからしばらくの間はグランドスラムを回ってすれ違ったら必ず目で挨拶してくれたし、私をジャーナリストとして信頼してくれて、インタビュー時間が5分しかないとなっても、それを蹴っ飛ばすくらいの気前の良さを見せてくれることもありました。だから、このインタビューが僕とナダルの関係の大きなターニングポイントになりましたね。本当はもっともっと聞きたかったですけど。
――それでも、本当の意味では心を開いてくれなかったですか?
ロジャー・フェデラーが本当に天敵なのかとか、聞いてみたかったですよね。当時、ナダルはフランスでまったく愛されていなくて、やっているテニスがつまらないと言われていました。また、スペインとフランスはスポーツでは犬猿の仲なので、スペイン勢が90年代半ばから強かった影響もあり、ナダルの人気はすごく低かった。ただ、矛盾しているのは、ローラン・ギャロスのファンの思いとしては、美しい、スペクタクルなテニスが見たいのに、(クレーコートの特性上)守備的な選手が勝つような大会なんですよね。ナダルがフランスで愛されるにはもう10年くらいかかったと思いますね。
ローラン・ギャロスのファンやメディア、レキップの記者も書き方はいつもきつかった。それはたとえ勝っていても。だから僕はナダルに「自分が何をすればもっとフランスで愛されると思う?」と聞いたら「僕は十分に愛されていると思う」とありきたりな答えしか返してくれなかったんです。まあ、ナダルの育ちを知っていれば当たり前ですけど、自分の気持ちを素直に伝えられないだろうなとはすごく感じましたね。でも、ある意味メディアに心を開くのはギャンブルでもあるので、ナダルの反応や判断は正しいと思いますね。
セカンドキャリアへの野望
引退後のナダルについて、ダバディ氏は「ビジネスの世界でこれからもフル稼働すると思う」と語る 【Photo by Borja B. Hojas/Getty Images for Kia】
もう二度とラケットを握らないチャンピオンと言って思い浮かべるのは、イワン・レンドル、シュテフィ・グラフ、最近でいうとピート・サンブラスとか、ビヨン・ボルグもそうですね。現役中に自身を追い込みすぎて、テニスに対する愛と憎しみの間の関係があって、僕はナダルがテニス界でキャリアを続けられるとはとても思えないです。だから、コーチになるのはないと思うし、ジュニアを教えるのもたぶんないと思います。それぐらいテニスにすべてを捧げてきました。
今まで30年ものあいだフル稼働だっただけに、精神的に回復するにはだいぶ時間がかかると思っています。とはいえ、この先の話で言えば、ナダル家は、ドバイに宮殿を買って永遠に休んで、稼いだお金を全部使ってしまうような人たちではなく、すごくしっかりとしているので、ビジネスの世界でこれからもフル稼働すると思います。
ラッファのスポンサーである、NIKE、Babolat、Kia、Telefonica、Banc Sabadell。飲み物ではAmstel、そして時計のRichard Milleとメインスポンサーは7つありますね。これらとはしっかり続くと思います。いま、ナダルはCMを撮影したりイベントに出たり、Richard MilleやBabolatの場合だと、アドバイザーとして時計のデザインに関わったり、ラケットの開発をしたり、そういうことがもう少し増えるんじゃないかなと思います。テニス人生に負けないくらいの野望がセカンドキャリアにもあるのかなという気がしますね。
グランドスラムの優勝回数は彼のスポーツ人生の偉業ですけど、それはあくまでも若いときのもの。「人間は上を目指せばもっとすごいことができる」という考え方から、彼はブレていないと思うんです。だから、引退セレモニーも含めて、辞めるときはすごくさっぱりしていた。これからどうしようという不安や、ノスタルジーを彼からまったく感じなかった。キャリアが終わったことも、これからステップアップする一つのきっかけでしかないと考えていると思います。