崖っぷちリーガー 徳島インディゴソックス、はぐれ者たちの再起

初めて叱られたエリート・岸潤一郎 独立リーグ1年目で生まれたコーチとの信頼関係

高田博史

【写真は共同】

 徳島インディゴソックスはなぜ独立リーグの虎の穴へと躍進を遂げたのか?とび職、不動産営業マン、クビになった社会人、挫折した甲子園スター…諦めの悪い男たちの「下剋上」とは? 崖っぷちリーガー 徳島インディゴソックス、はぐれ者たちの再起(著:高田博史、編集:菊地高弘)から現在は西武でプレーする岸潤一郎に関する記事を一部抜粋して公開します。

寝坊に遅刻、練習中にフラッと

 岸が徳島での生活で最も苦しんだのは、スケジュールのタイトさである。

「同じ四国内って言っても、やっぱり徳島から愛媛の先まで行ったら、結局帰ってくるのが1時とか2時とか。そっからお風呂と洗濯して3時。もう寝る時間もない、みたいな感じなので。やっぱり、そういうところのスケジュールはきつかったなと思います。筑後までバスで行って、夜中に出てんのに、着いてすぐ試合とか……」

 岸の野球人生が徳島で再び始まった。登録されたポジションは投手だが、トミー・ジョン手術を受けた影響を考慮して、右肘に負担をかけないようにするため前期は一塁手、後期に入ってからは右翼手として試合に出場していた。

 周りを驚かせたのが、足を生かして盗塁数を稼ぎまくったことだ。投手に戻ることは、もう考えていなかった。

「正直、こっちが本来の僕なので。ピッチャーをちゃんとやったのって、高校の3年間だけですから。小・中はずっと野手をやって、地肩が強かったので小6とかでピッチャーやったりとか、中3の後半でちょっとだけ投げたぐらいなので。ちっちゃいころから僕を知っている人から見たら、ピッチャー岸より普通に野手のイメージだと思います」

 この年の8月、徳島の練習環境についてこんな言葉を残している。

「めっちゃいい環境やと思いますよ、僕は好きです。個人でやっていくので、めっちゃ楽しいですけどね」

 徳島に来て、橋本球史コーチと出会った。

 橋本コーチは大学を卒業後、専門学校を経て2015年から3年間、徳島で外野手としてプレーした。2016年に盗塁王、ベストナインを受賞している。2018年はコーチとなって初めてのシーズンだった。

 このころ岸のなかでは、橋本コーチへの信頼感が生まれ始めている。

「6、7月でだいぶやり込んだんで、いい練習ができたと思います。球史さんたちのおかげなんですけど。ティーもずっと一緒にやってもらったし、ウェートも一緒にやってもらったし。前期からしたら、このへん(大胸筋)とかめっちゃデカくなったんですよ。一緒にやってもらったこととか、考え方、ティーのやり方とかも全部、僕はだいぶ生きてるなって思います」

 話だけを聞けば、ひたすら野球だけに打ち込んでいたように聞こえる。だが、実際にはまだ、野球に対する甘さが残っていた。寝坊して遅刻はする。練習中にフラッといなくなる……。

 橋本コーチが述懐する。

「来た時点でポテンシャルは間違いなかった。1年目は(ドラフトが)無理だったじゃないですか。元々、2年計画ってところで考えていて。1年目はもう、足ですよね。足はホントに速かったので。でも、あいつの人間性にもびっくりしたんです。センスあるヤツって練習をやらないというか。それがとにかくもったいなくて……」

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