アンディ・マリー、涙のウィンブルドン 男子テニス界に新旧交代の流れ

秋山英宏

ウィンブルドンでダブルスに強行出場したアンディ・マリー。試合後にはセレモニーが開かれた 【写真:ロイター/アフロ】

英国の英雄が最後のウィンブルドンに

「体力的に厳しいんだ。いつまでもプレーしたい。それほどこのスポーツが大好きだ。やめたくない、だから、つらい」

 現地時間7月4日、センターコートの大観衆の前で、アンディ・マリー(イギリス)が胸のうちを明かした。7月下旬に開幕するパリ五輪で現役を退く意向で、ウィンブルドンはこれが最後の出場になる。

 前哨戦で背中を負傷し、その後、手術を受けた。十分に体調が回復していないとして今大会はシングルスを棄権したが、兄のジェイミーと組んで男子ダブルスに出場、1回戦で敗れた。試合後にセレモニーが行われ、マリーはファンに直接語りかけた。長年のライバルであるノバク・ジョコビッチ(セルビア)や往年の名選手ジョン・マッケンロー(アメリカ)など、現役選手やレジェンドの顔も。

 ともにBIG4と称されたロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)とジョコビッチのビデオメッセージも流された。このセンターコートでライバルたちと繰り広げた死闘、大観衆の喝采、味わった歓喜を思い出したのか、セレモニーが終わるとマリーは涙でコートを去った。同じ英国のスター選手、エマ・ラドゥカヌと組む混合ダブルスがウィンブルドンでの最後の勇姿となる(編集部注: 混合ダブルスはラドゥカヌの手首の負傷により棄権)。

 ウィンブルドンでは2013、16年に優勝を飾った。このテニスの聖地では、マリーが初栄冠を手にするまで地元英国の男子選手の優勝は77年間途絶えていた。長年苦しめられていた呪縛を、4分の1がイングランド人の血とされ、スコットランドのダンブレーンに生まれたマリーが解いたのだ。

 13年の決勝ではジョコビッチをストレートで破った。試合を決めた最後のゲームは8分もかかり、3本のマッチポイントを逃したのち、やっとの思いでゴールテープを切った。マリーは「最後の数ポイントは、僕のテニス人生で最も厳しいものだった」と振り返った。

 それは「最も厳しい」と同時に、初栄冠までの、すなわち彼のテニス人生の前半をそのまま凝縮したようなゲームだった。母国の期待の重さを背負ってフェデラーやナダル、ジョコビッチに挑み、何度も跳ね返された。2度目の四大大会決勝となった10年全豪では、初の決勝だった08年全米と同じフェデラーに完敗した。よほど惜しかったのか、表彰式のスピーチで号泣、それでも気を取り直して、こう続けた。

「僕もロジャーのように泣くことはできるけれど、彼のようにはプレーできなかった」

 フェデラーも前年の決勝でナダルに敗れ、表彰式で悔し涙を流したが、それを念頭においての発言だ。持ち前のユーモアのオブラートで悔しさを包み、涙の塩味を効かせた発言に、観客は大歓声で応えた。

 ウィンブルドンの初出場は05年。08年に初のベスト8、09年から11年まで3年連続ベスト4、12年に準優勝と1段ずつ階段を上り、13年の初栄冠にたどり着いた。

 歓喜の王者は、表彰式を待つ間に家族やコーチ陣が座る観客席に駆け上がり、まずイワン・レンドルコーチと、次に、さわやかなミントグリーンのサマードレスを身に着けた婚約者と抱擁した。最後に喜びを分かち合ったのは、テニスを手ほどきしてくれた母親のジュディさんだ。無冠の頃、英国の口さがない人々は、マリーが肝心なところで勝てないのは母親への依存が強く、自立心が弱いからだと「ステージママ」を悪者に仕立て上げた。26歳の王者は、ともに苦難を乗り越えた「同士」と温かなキスを交わした。

「つらい敗戦がいくつもあったが、僕は毎年少しずつ成長したと思う。大きな進歩、劇的な変化ではなかったとしても。僕はタイトルに向けて少しずつ前に進んだ。いつも何かを学ぼう、最大限の努力をしようと努めた」

 マリーは胸を張ってこう話した。

負傷に苦しめられたキャリア後半

16年のウィンブルドンで自身2度目の優勝を果たし、BIG4の仲間入りを果たしたときがキャリアのピークだった 【写真:ロイター/アフロ】

 16年のウィンブルドンで3個目の四大大会タイトルを手にし、同年11月には初めて世界ランキング1位に座る。この頃から、フェデラーらとともにBIG4と称された。だが、翌17年以降は故障との戦いが続いた。右臀部の痛みに長く悩まされ、19年の全豪では、引退を示唆する発言もあった。

「ひどい痛みだ。この痛みとともにプレーを続けようとは思わない。やれることは全部やったが、よくならないんだ。どこかで終止符を打つ必要があるのかもしれない。ウィンブルドンまでは何とかできるだろう。そこでプレーをやめようと思っている。でも、それさえできるかどうか」

 悲痛な叫びに選手仲間が反応した。ジョコビッチは「12歳の頃からのライバルだ。いつの日か、ともに過ごした時間を一緒に振り返ってみたい」と思いを込めて語った。復帰は絶望的かと思われたが、股関節置換手術を経てコートに戻る。しかし、その後の歩みは順調とはいかず、四大大会では、17年ウィンブルドン8強を最後に4回戦の壁を越えられなかった。

 マリーのこれまでの道のりを振り返ると、ウィンブルドン初優勝もさることながら、キャリア後半の苦闘が強く印象に残る。困難な道を這うように進むマリーの後ろ姿は、選手の尊敬を集めた。22年全豪でマリーを破ったダニエル太郎は試合後、こう語った。

「とても尊敬している。生き方というか、ほんとにテニスが好きなんだなというのが伝わってくる。ここまで体にダメージを受けても、自分の好きなことを続けるために何でも犠牲にできる。スポーツに対する愛を感じるから、それを一番尊敬します」

 グリゴル・ディミトロフ(ブルガリア)はこう称えた。

「彼は、もう終わりにしよう、などと簡単にあきらめるような人じゃない。あれ(股関節の故障)以降、彼が成し遂げたのは並大抵のことではない。コートで動いている姿も見たが、やはり以前とは違う。それでも驚異だよ。素晴らしいと思う。自分らしく(キャリアを)終えたいという彼の考え方も理解できる」

 おそらく自分らしい終わり方を考えた末に、マリーはウィンブルドンとパリ五輪を花道に選んだはずだ。今大会の開幕前に、マリーはウィンブルドンへの思いを明かした。出場することで何を得たいのかと聞かれ、こう答えた。

「再びここで戦う機会だよ。最後だからね。僕に何年もよくしてくれた場所なんだ」

 コートに立ちたい、思いは、ただそれだけだった。

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著者プロフィール

テニスライターとして雑誌、新聞、通信社で執筆。国内外の大会を現地で取材する。四大大会初取材は1989年ウィンブルドン。『頂点への道』(文藝春秋)は錦織圭との共著。日本テニス協会の委嘱で広報部副部長を務める。

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