YouTubeで深めたファンとの絆 大声援を全米OP制覇に繋げたブライソン・デシャンボー

北村収

全米オープンに勝利し、歓喜するデシャンボーと大ギャラリー 【Photo by David Cannon/Getty Images】

 かつてブライソン・デシャンボーは、有名ではあったが必ずしもギャラリーからの人気が高い選手ではなかった。言葉は悪いが“変人”と言われることもあった。ところが全米オープン期間中、彼には常に大勢のギャラリーから熱烈な声援が送られていた。デシャンボーはその期待に応え、ファンとのコミュニケーションを大切にし、ハイタッチや拍手を促すジェスチャーを交えながらプレーを続けた。「ファンからの声援でアドレナリンが一気に出た。自分や家族、そしてファンのためにさらに集中ができ、自分を鼓舞してもらえた」と、ファンの大声援をメジャー制覇につなげた。

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元々は気難しく、ファン&メディアとの関係も悪かった

プレー中もファンを大切にするデシャンボー 【Photo by Sean M. Haffey/Getty Images】

 デシャンボーは以前、スロープレーやルール裁定に不満をぶつけるなどの姿勢から、ファンのブーイングを受けることもあった。2021年9月には、当時対立していたブルックス・ケプカのあだ名「ブルックシー!」と野次を飛ばしたファンとは衝突寸前になる出来事もあった。また、この時期にはメディアの取材に応じることもほとんどなかった。

 当時に関して全米オープン3日目の会見で、「3年前を振り返ると、状況はずいぶん変わった。正しいやり方ではなかったし、もっとうまくやれることもたくさんあったはずだ」と述懐した。さらに、「人生で後悔したことはないが、私は常に自分の過ちから学ぼうとしている。最も重要なことは、自分が成長し、学んでいるということだ。その瞬間から成長している。それは、苦しんでいる人たちに私が言えること」と彼は過去の経験から学び、成長していることを強調し、ファンや悩んでいる人々に向けての励ましのメッセージとした。

2022年のどん底から復活「人の意見を尊重し、理解できるようになった」

 2020年の全米オープン後から調子が落ち、LIVゴルフでもスタートした2022年は調子が悪かった。その頃の状況について、「2022年のマスターズの後が一番つらかった。手を骨折して、手術を受けなければならなかった。高い位置で競技ゴルフができる可能性があると思っていたんだけど、手術が自分のゴルフにどう影響するかわからなかった」と振り返った。

 また、同年には父親を亡くし、大きな精神的打撃を受けたが「お父さんが亡くなってから人間的に大きく成長したと感じている」と話した。「人の意見を尊重し、理解できるようになった」と述べた。

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著者プロフィール

1968年東京都生まれ。法律関係の出版社を経て、1996年にゴルフ雑誌アルバ(ALBA)編集部に配属。2000年アルバ編集チーフに就任。2003年ゴルフダイジェスト・オンラインに入社し、同年メディア部門のゼネラルマネージャーに。在職中に日本ゴルフトーナメント振興協会のメディア委員を務める。2011年4月に独立し、同年6月に(株)ナインバリューズを起業。紙、Web、ソーシャルメディアなどのさまざまな媒体で、ゴルフ編集者兼ゴルフwebディレクターとしての仕事に従事している。

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