多摩川クラシコの明暗に見る、呪縛としての「自分たちのフットボール」

川端暁彦

戦術は手段なのか美学なのか

FC東京の指揮官は威厳と風格をもって「自分たちのフットボール」を説くが…… 【(C)J.LEAGUE】

 FC東京が「最初の60分から70分までは何かが多くあったわけではなかった」(クラモフスキー監督)理由は、「(中央の)自分と(松木)玖生のところへ(パスが)余り入らず、外回しばかりであまり良い攻撃ができていなかった」(荒木)こと。このあたりはまさに川崎Fの狙いどおりだった。

 FC東京のクラモフスキー監督は64分に3枚替えを敢行。ゼロトップを解除してワントップのFWディエゴ・オリヴェイラらを投入する采配を見せた。ただ、この采配は遅きに失しただけでなく不徹底でもあり、ピッチ上の状況は改善されるどころか、むしろ混迷。結局、FC東京が後半に記録したシュートは「0本」。追い掛けるチームが記録するものとは思えない数字は、何も起こせなかった試合内容を端的に表すものだった。

 この8分後、守備の破綻からFC東京GK波多野が退場し、ほぼ試合は決まってしまった。

 サッカーは相手あってのスポーツであり、その「戦術」は「自分たち」だけで決定して相手に押し付けるようなものでもない。もちろん絶対的な戦力差があれば話は違うのだが、そこまで恵まれた戦力を持つチームは、少なくともJリーグには存在し得ないだろう。

 FC東京の指揮官が強調する「自分たちのフットボール」のような現象は決して珍しいものでもなく、Jリーグでしばしば見られるものでもある。

 別の試合でバッタリ遭遇した某Jクラブのスカウトも「理想のサッカーがあるのはいいとして、それを勝つために現実と擦り合わせてどういうサッカーをするのか選択していくのが監督の仕事なのに、まず『自分のやりたいこと』を優先させちゃう監督がJリーグには多すぎるよね」とボヤいていたので、多かれ少なかれいろいろな場所で見られる現象ではあるのだろう。

 サッカーというゲームは勝利を目指してプレーするというのが大原則。「自分たちのフットボール」はその手段であるべきだろう。少なくとも、「敗れてでも貫くべき美学」ではないはずだ。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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