“世界のスーパースター”クレクがWD名古屋を退団 誰からも愛された男と日本バレーの幸せな関係

田中夕子

クレク(左)は傑出した実力に加えてプロフェッショナルな姿勢、他者から愛される人間性の持ち主だった 【(C)JVL】

 望んだラストシーンとは違う。それでも、世界のスーパースターは最後まで笑顔だった。

 2024年3月13日、ウルフドッグス名古屋のホームページでクレク・バルトシュの今季限りでの退団が発表された。20/21シーズンからプレーし、翌シーズンからはチームのキャプテンも務めた選手だ。

 日本での最終戦は、3月30日のファイナルラウンド、5位決定戦。レギュラーラウンド後半戦もケガで戦列を離れたクレクは、この日も出場することはなく、試合はフルセットの末に堺ブレイザーズに勝利した。

 前週の23日、同じく欠場したファイナル6の初戦、東レアローズにフルセットで敗れた後は「これまで日本では素晴らしい日々を過ごし、素晴らしい景色を見て来た。今日のこの景色が、私にとっては一番つらい光景です」と肩を落とす姿もあった。出場がかなわなかっただけでなく、チームが総力を尽くしながらも勝利を得られず、連覇が潰えたからだ。

 日本での最後となる試合も自らプレーすることはかなわなかったが、勝利を収めると1週間前の落胆とは異なり、仲間たちと笑顔で喜びを分かち合う。そして今季限りで引退を表明する椿山竜介に続いて胴上げで三度、宙に舞った。

「チームメイトたちと過ごした時間、一緒に(ホームアリーナの)エントリオで過ごした時間、いつもアリーナが笑いで溢れる関係性を築けたこと、毎日毎日が、私にとっては日本で得られた素晴らしい時間でした」

スーパースターが「背中」で見せた姿勢

 アスリートにとって1年1年、すべて変化の年で、時間は永遠ではない。ましてやプロ選手なのだから、同じクラブにずっとい続けることもあり得ない。わかっていても寂しい――。その理由を素直な言葉で明かすのは、4シーズン、ともに名古屋でプレーした日本代表のリベロ、小川智大だ。

「自分だけでなく周りにもフォーカスする。自分がやらなくても周りに言うことだけ言う選手もいますけど、彼の場合は本当に誰よりも背中で見せてくれた。トレーニング中も練習中も一番チームを引っ張ってくれる。その姿に影響を受けたし、とにかく僕はバルテックが大好きでした」

 2009年の欧州選手権から、ポーランド代表選手としてのキャリアがスタートした。18年の世界選手権で金メダル、三度出場したワールドカップでも二度の銀メダルを獲得し、ロンドン、リオデジャネイロ、東京、と五輪にも三度出場した。世界のトップ選手、というには留まらず、世界のトップ中のトップ、トップオブザトップの選手であるのは言うまでもない。チームメイトで、年齢も近い36歳の名古屋のミドルブロッカー、近裕崇はこう言う。

「僕らの世代にとってはスーパースターですから。たまに冷静に考えると、改めてすごいなって思うんですよ。俺今、クレクとチームメイトで、対戦相手がムセルスキーって、どんな世界だよって(笑)。でも一緒にやってみて、普段の練習から本当に100%、すべてを出して、取り組んでいる姿を見たら、やっぱりすごいって思うし、どれだけ幸せな時間なんだ、って。ひと言で表すことなんてできないけど、とにかく彼を見て学んだのは“プロフェッショナル”だ、と。その言葉に尽きます」

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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