星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録

15年、落合GMも同情した現場戦力 黄金時代に抱いていた「5年後、10年後が心配」が現実に・・・

中田宗男

15年は小笠原や木下ら、後にチームの柱となる選手を指名。ただ、数年前から抱いていた危機感が後に現実となり、この後の低迷につながることになる 【写真は共同】

「星野さんは人を残し、落合さんは結果を残した」。スカウト歴38年、闘将とオレ竜に仕え、球団の栄枯盛衰を見てきた男が明かすドラフト舞台裏。
中田宗男著『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』から、一部抜粋して公開します。

「現場がかわいそうだろ?」

 この年のドラフト1位は地元・県立岐阜商高の高橋純平だった。「GMは駒澤大・今永昇太(DeNA1 位)でいきたかったのにスカウトが高橋をごり押しした」みたいなことが書かれている記事もあるようだが、それは事実ではない。今永は北筑高(福岡)時代に下位で指名したかったピッチャーだった。実際に「獲ります」と声をかけたものの本人が「まだ自信がない」ということで大学進学を選択し、指名を断念していた経緯もある。そんな今永が、大学進学後に一気に成長して1位でなければ獲れない選手になった。中日に限らず、今永ほどのピッチャーはどこも欲しかったはずだ。

 だが、落合さんからも「駒澤の今永、良いよね」くらいの話はあったが、「今永でいってくれ」とは言われなかった。

 高橋は1年の頃から150キロを投げていた地元ピカイチの素材だった。その頃から、「2年後は会社を挙げて地元スターの高橋を獲りにいく」ことは、球団の暗黙の了解でもあった。

 落合さんもGMとなり球団上層部と話す機会も多くなっていたので、球団を挙げて地元スターを獲りにいくという話は聞かれていたのだと思う。だから「今永か高橋か」というような議論には、そもそもなっていない。

 直倫のときもそうだったが、地元にスター選手がいれば獲りにいくのは、親会社がローカル新聞社である球団の宿命でもあるのだ。落合さんもそのことは理解されていた。

 高橋は3球団競合となりソフトバンクが引き当てた。中日の外れ1位は東海大相模高の甲子園優勝左腕、小笠原慎之介。小笠原は1位で消えると思っていたから、高橋を外したときに残っていたことに驚いた。だから外れ1位は迷わずに決まった。日本ハムと競合となり、今度は中日が引き当てた。ちなみに小笠原も外したときは明治大の大型左腕、上原健太でいこうと考えていた。その上原を日本ハムが外れの外れで指名したときには、「日本ハムはうちと全く一緒のパターンでしたね」と会場で落合さんたちと話していた。

 2位以下は前年と同じように大学、社会人で占められることになった。この年の落合さんは「高校生はいらない」とは言わなかったが、こんなことを言っていた。

「いまのウチの状況を見てごらん? 1人でも役に立つ選手を獲らないと現場がかわいそうだろ? 俺のときは恵まれていたけど」

 谷繁監督になって2年目のシーズンもBクラスの5位で終わっていた。私がスカウトになってから初めての3年連続Bクラスだった。数年前から思っていた、「5年先、10年先が心配だ」ということが現実になっていた。

 スカウト部にも、現状の低迷を一刻も早く打破しなければ次に進めない。少しでも戦力になれる選手を現場に送らなければいけないという思いがあった。そんな気持ちから、結果的に1位以外は大学・社会人選手で占められることになったのだ。

私が勝手に指名したトヨタの木下

 そんな思いのなか、3位指名したのがトヨタのキャッチャー、木下拓哉だった。私は木下を買っていた。「外れ1位か少なくとも2位までには消える。上位で指名しないと獲れませんよ」とずっと言ってきた。実際、ドラフト直前のスポーツ紙には他球団の外れ1位候補としても名前が挙がっていた、アマチュア球界ナンバー1の即戦力キャッチャーだった。

 だが、この年のドラフト戦略では上位2人はピッチャーでいくことになり、2位は東北福祉大の佐藤優で決まっていた。ピッチャーの補強も優先課題であり、佐藤も素材の良いピッチャーだったからそれは致し方がないことだった。「ポスト谷繁」になり得る木下の指名は完全に諦めていた。

 だが、ドラフトが始まるとどの球団からも木下の名前が挙がらなかった。2位指名の途中あたりから、「指名するな、指名するな……」と私は祈り続け、心臓をバクバクさせていた。そしてついに、中日の3位指名まで木下は残った。このときの3位は他の選手を予定していたと思うが、私は落合さんに確認もせずに指名用紙に『木下拓哉』と書いて、会場のスタッフに渡して半ば強引に指名した。

「トヨタから獲らなきゃいけない理由でもあるの?」

 落合さんにはそんなふうに聞かれた。何か裏で約束でもしていたのかと言いたげな感じだったが、「いえいえ、良い選手だから指名したんです!」と返した。

 繰り返しになるが、落合さんは社会人選手の契約金は高く設定する人だった。しかし私が強引に指名したせいか、落合さんが評価していなかったからなのか、3位の社会人選手にしては木下の契約金は安かった。トヨタ側からも「もうちょっと条件なんとかしてくださいよ」と言われ、私は頭を下げながらこう言った。

「これでも会社に頼み込んで条件を少し上げてもらったんです。3位で残っていたから慌てて指名したんです」

 どうにか理解してもらったものの、球団経営の苦しさをここでも感じずにはいられなかった。

 4位で指名したJR九州の福敬登は神戸西高時代から追いかけていたピッチャーだった。3年目で獲るつもりでいたが、その年が不調で指名できなかった。それから2年経って社会人5年目となったこの年、担当スカウトから「少し良くなりましたよ」と報告が上がってきた。香川オリーブガイナーズの西田監督からも電話をもらった。

「JR九州の福、強烈なボールを投げてましたよ。150キロくらい出ていて手も足も出ませんでした。コテンパンにやられました。獲ったほうがいいですよ」

 そんな報告をしてくれた。

 西田監督は広島のOB。それなのにライバル球団の中日が福を追いかけていると聞いて、わざわざ私に電話をくれたのだ。もしかしたら、2年前に又吉を2位で指名したことに恩義を感じていてくれたのかもしれない。そうだとすればありがたい限りだ。

 実際、福を見に行ったら報告の通りに良くなっていた。絶対に指名したいと思った。スカウト会議で「JR九州の福でいこうと思ってます」と報告すると、落合さんも「福でいいよ。良いらしいね」と指名を後押ししてくれた。

 この年が社会人4年目となる5位のHonda・阿部寿樹(現楽天)は前年にも指名候補で名前が挙がっていた選手だった。だがバッティングにちょっと引っかかる部分があり、指名に待ったをかけていた。それが1年経って格段に良くなっていた。落合さんも「そうだろ? 阿部、良いだろ?」と評価していたようで、他にどの球団も指名する動きもなかったことから5位指名となった。

 6位の石岡諒太(現オリックス)は福と同様に高校(神戸国際大付高)時代から評価していた選手で、この年が社会人5年目だった。落合さんに「石岡どうしますか? 良くなってますよ?」と聞くと、「獲ろう」とほぼ二つ返事。ちなみにJR東日本の選手だ。

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