星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録

05年、夏の甲子園で大阪桐蔭・平田1位を決めた落合監督 右肘故障の吉見を「説得」して自由枠で獲得

中田宗男

吉見と平田を獲得し、この年のドラフトは中日にとって充実したものとなった 【写真は共同】

「星野さんは人を残し、落合さんは結果を残した」。スカウト歴38年、闘将とオレ竜に仕え、球団の栄枯盛衰を見てきた男が明かすドラフト舞台裏。
中田宗男著『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』から、一部抜粋して公開します。

岡田から平田に乗り換えた1巡目指名

 落合監督の2年目のシーズン。この年の春先、落合さんからこんなことを聞かれた。

「ファーストで左投げ左打ち、長打を打てる選手はいないか?」
 
 ファーストといえば多少守備が下手でも打てる選手が守るポジションというイメージがある。だが、落合さんは「ファーストって大事なんだよね」とその守備力を重視していた。ファーストは左投げのほうがバントシフトでもセカンド、サードに投げやすいし、けん制でもランナーにタッチもしやすい。
 
 頭に浮かんだ選手がいた。履正社高の岡田貴弘(現T‐岡田/オリックス1位)だ。
 
 履正社高の監督、岡田龍生(現東洋大姫路高監督)は私の大学の後輩で、練習を見に行ったときにこんなお願いをした。

「外野の岡田、今度の練習試合でファーストを守らせてくれんか? うちの監督はファーストを重視しているからちょっと見たいんや」
 
 それで岡田にファーストを守らせてもらった。守備は特別上手いとは言いきれなかったが、まぁまぁできるのがわかった。
 
 監督の岡田には1位でいくと断言はしなかったが、「うちの監督が左投げで大きいのが打てるファーストを探している。もしかしたら1位でいくかもわからんぞ」とだけ話した。
 
 この年、大阪にはもう1人注目の選手がいた。大阪桐蔭高の平田良介だ。
 
 当たれば打球が強烈で体格に恵まれた岡田と、やや小柄だが三拍子揃った平田。大阪大会での2人を担当スカウトとそんなふうに見ていた。だが、この夏の大阪大会を制して甲子園に出場した平田が、大舞台で1試合3ホームランの大活躍をして一気に評価を高めた。
 
 甲子園が終わった後、落合さんに「予定通り岡田でいきますか?」と確認をすると「いや、平田でいってくれ」とあっさりと乗り換えた。元々、スカウト部は春先から脚も肩もある平田を評価していた。だから落合さんが平田を気に入ったとしても、何の異論もなかった。
 
 落合さんは監督就任当初から「右の四番」候補を求めていたのだから、落ち着くところに落ち着いたというべきだろうか。

 だが、平田はドラフト直前に行われた「アジアAAA選手権」で右肩を亜脱臼した。平田の独特の打ち方には賛否あったが、一番評価したのは守備だった。肩が良くて足もあり、一言で言えばナゴヤドーム向きの選手だった。そんな平田が右肩を怪我したのだから、このまま指名するべきかどうか迷った。

「平田の肩はちょっと心配です。当初予定していた岡田にしますか? どうしましょうか?」
 
 それでも落合さんは「いや、平田でいってくれ」と最後まで平田の高い評価は変わらなかった。

「自信がない」吉見を説得

 吉見一起は金光大阪高時代から注目していたピッチャーだった。
 
 この頃、現在はチーフスカウトを務める米村明も関西地区担当として駆け出しスカウトの1人だった。吉見が2年の秋だっただろうか、そんな米村に吉見のピッチングを見せた。

「いいか、このピッチャーがドラフト指名ボーダーラインのレベルだ。このピッチャーを良く見て基準にしておけ。これよりも良いピッチャーなら上位候補、これより劣るピッチャーなら候補から消してもいい」
 
 とにかく吉見が基準になるピッチャーだからよく見ておけよと話した。

 米村はそれから吉見を徹底マークして見守り続けた。そうして一冬を越えると、吉見はものすごく成長してドラフト上位クラスのピッチャーになった。米村はそう思った。
 
 吉見が良くなったのは間違いなかったが、他の候補との兼ね合いなどを含めて、最終的に誰を1位で、誰を上位でいくのかを判断するのは部長の私の役目なのだが、米村は「上位でいかせてください」とうっかり学校側に言ってしまった。これは米村の勇み足だった。私は米村を連れて学校に向かい、事情を説明した。
 
 この年は早稲田大の和田をはじめ、何人かの大学生を自由獲得枠で狙っていたし、ダメなら明徳義塾高の森岡でいこうと早くから考えていた。上位指名の候補者はある程度絞り込んでいたため、吉見の上位指名は難しい状況だったのだ。
 
 吉見本人がプロ入りを希望すればおそらく4位か5位くらいでは指名されていたと思うが、本音を言えば、社会人でワンクッション置いたほうが良いタイプだと思っていた。
 
 結局、吉見はトヨタへ進むことを選んだ。このとき3年後に獲りたいなと考えていた。

 トヨタに入社後、吉見は右肘を手術していてその回復具合が気になった。だがある一時期は良いボールを投げていたし、高校時代の良かったときも見ているので担当スカウトには「吉見の逆指名を獲りにいくぞ」と話していた。だが、いざ獲りにいくと本人は「自信がない」という。「心配しなくても、今の中日は投手陣が豊富だし、2、3年後に出てきてくれれば良いから。とりあえずウチに入って1年間しっかり治して、2年目に投げ出して、3年目で一軍で投げてくれればいいから」と説得した。吉見の家族にも同じように話をして、なんとか逆指名してもらうことができた。
 
 落合さんに吉見を希望枠で獲得する旨を報告をすると「怪我をしているのに獲らないといけないわけでもあるのか?」と初めは訝しがられた。だが「今年獲っておかないと来年になったら争奪戦になりますよ」と説明すると、「そんなにいいなら獲ろうか」と理解してくれた。
 
 中日投手陣を考えれば、新人が1年目から活躍しなくても何の問題もなかった。盤石の投手陣だったからこそできた吉見の獲得だった。
 
 3巡目で指名したのはNTT西日本の藤井淳志。肩と足が優れていた外野手だった。打つほうに確実性はなかったがパンチ力があった。大学卒の社会人選手だったが、荒削りな分だけ上積みも期待できた。落合さんにも見せたところ「藤井、獲って」と気に入っていた様子だった。
 
 4巡目で指名した駒澤大の新井良太は不器用だったが体に力がある選手だった。お兄ちゃん(貴浩/現広島監督)に比べて足もあった。その頃はお兄ちゃんはもうプロとして一流選手だったから、比べてしまうと劣る部分が目立ったが、素材として面白かった。練習も一生懸命にやる選手だったことから指名した。

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