08年、1位指名を巡って落合監督と意見が対立 スカウト会議前日に記者が残した謎の言葉
08年、1位指名を巡って落合監督と意見が対立。最後まで議論は平行線をたどった 【写真は共同】
中田宗男著『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』から、一部抜粋して公開します。
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理由は言わない指揮官、噛み合わない議論
2003年オフの監督就任直後から、落合さんは常々「チームを作る骨格として右バッターの四番打者を作りたい」と言っていたことはこれまでに何度も書いた。だからこの年のドラフトでは、私の頭には真っ先に東海大相模高の大田泰示(巨人1位/現DeNA)の名前があった。バッティングには長所短所はあったが、素材の良さとスケールの大きさは将来の四番候補に相応しいと思った。
ドラフトを控えた最後のスカウト会議。落合さんに「大田でいきたい」と話した。「清原、松井に匹敵する素材です。これまで中日は福留を含めて、10年に1人の逸材と呼ばれるスラッガーは逃げずに指名してきました」などと熱っぽく話した。落合さんは黙って聞いてくれた。そして私の話が終わるとこう言った。
「日通の野本でいってくれ」
ここから大田でいきたい私と、野本でいきたい落合さんとの噛み合わないやりとりが長く続いた。
野本も確かに良い選手だった。駒澤大時代に指名したかったことはすでに書いた。だがこの年、スカウト部は野本を1位候補から外していた。インコースがちょっと弱いという技術的な懸念もあったが、楽天が1位で指名することも知っていたため、同じ競合になるのであれば大田でいきたい思いもあった。
「本拠地がナゴヤドームのうちだと野本も苦労しますよ。楽天に行かせてあげたほうが本人のためじゃないですか?」
落合さんはそれも黙って聞いて反論しようともしない。じっと聞いてくれているので、「わかった。じゃあ大田でいこう」と言ってくれるのかと思ったが、「野本でいって」としか言ってくれない。
「インコースがちょっと打てないですよ」と言えば「他のコースが打てれば良いから」と言う(笑)。
「大田が良いのはわかっているけどな」「来年目をつぶってレギュラーとして使うから野本でいってくれ」などとは一切言わない。だから押し問答、喧嘩にもならない。暖簾に腕押しとはこのことだった。
落合さんがシーズンのいつ頃から野本1位で考えていたのかはわからない。だが、早くから「1位は野本でいって」と言えば紛糾することがわかっていたから、だからあえてギリギリのこのタイミングまで何も言わなかったのではないかと思う。
翌年には日本生命の大島を指名する構想があった。「来年、同じ左投げ左打ちの大島という外野を獲る予定です。だから今年は大田でいきましょう」とも話したが、「それはまた来年獲ればいいんじゃないの?」と、にべもない。
スカウト部長という立場上、野本を1位でいきたい理由を説明してもらわないと「じゃあ1位でいきましょう」とは言えない。私は「野本でいって」と繰り返すばかりの落合さんに、業を煮やしてこう言った。
「野本を1位でいくというなら、私をスカウト部長から罷免してからにしてください。私がスカウトの責任者である限りは、理由もわからないまま1位で指名するわけにはいきません」
それでも落合さんは冷静そのものだった。
「まぁ中田君、そう言わず。監督がどうしても欲しいと言っているから野本でいってあげたら?」と西川順之助社長が間に入り、結局「明日、ドラフト当日の朝に決めよう」ということで一旦その場は収められた。だが、現場の指揮官と社長が「野本でいこう」と言っている以上、私が折れるしかないのは明白だった。