明豊は初戦敗退の甲子園から何を学んだか 日本一へ向けて「ゼロからのスタート」

加来慶祐

「今年の明豊は打てない」というレッテルを覆したが、それでも北海の前に初戦敗退となった 【写真は共同】

打線の状態は最高潮で迎えた甲子園

「バッティングに関しては、昨年の新チーム発足以降で見ても、一番良い状態で甲子園を迎えることができたと思う」

 大分県勢として史上初となる3年連続夏の甲子園出場を果たした明豊。全国最多40回目の出場となった北海(南北海道)との初戦を前に、川崎絢平監督は確かな手応えを掴んでいた。試合前日、前々日の練習でも自ら打撃投手を務め、正面から各打者の状態を確認。前日には複数の選手が柵越えを連発し、大分大会で本調子ではなかった4番・西村元希(3年)も好調をアピールするなど、打線全体が万全の仕上がり具合を見せていた。

 10日に行われた北海戦では、チーム全体で15安打を放った。西村が3安打2打点と気を吐き、1番の高木真心(2年)、地方大会から2番と8番が入れ替わる形となった西川昇太(3年)、義経豪(3年)も2安打を記録。高木とともに2年生でスタメンに名を連ねた石田智能(2年)も2点三塁打を放っている。

 昨夏以降の明豊は「攻撃力不足」、「得点力不足」が最大の課題だった。ふたつの県大会で無冠に終わった今春シーズンも、チャンスでもう一本が出ずに敗れた。とくに春の大会(九州大会予選)は4番の西村を欠いていたとはいえ、初戦から敗れた準決勝までがすべてひとケタ安打だ。5-1で勝利した準々決勝の中津東戦もわずか4安打と苦しみ「今年の明豊は打てない」というレッテルを貼られてしまう結果に終わっている。

 そういう状況から夏の甲子園という大一番にピークを合わせてくるあたりは、さすがに過去6大会で4度の出場を果たしているチームだ。北海先発の熊谷陽輝、エースの岡田彗斗(ともに3年)といった140キロ超右腕をはじめ、左の長内陽大(3年)といった北の大地が誇る多彩な投手陣から15安打8得点を挙げたのだから、攻撃力+得点力不足という課題は1年をかけて見事に克服したと言っていいだろう。

積み重なった攻守のミス

 一方で、昨秋以降、潜在的に抱えていたもうひとつの不安要素はどうだったか。

 8-9で逆転サヨナラ負け(延長10回タイブレーク) を喫した試合を振り返った時、やはりミスが目立ったのは明豊の方だった。

 歯車が狂い始めたのは2回、無死一、二塁の場面だ。6番・石田がバントを空振りしたところで、飛び出していた二塁ランナーの西村が北海捕手・大石広那(2年)の好送球で刺されてしまった。結果、この回の明豊は無得点で攻撃を終えている。

「最初の走塁ミスが最後まで尾を引いてしまいました。あの失敗がみんなの頭の中に強く残ってしまったのでしょう。“もう同じ失敗はできない”という思いが硬さとなり、第2リードを含めたランナーの一歩目が遅くなってしまいました」(川崎監督)

 この場面を含め、明豊は5回までに2度の無死一、二塁を作ったが、いずれもバントで二塁ランナーを進めることができなかった。5回にはバント失敗の後、西村の2点三塁打で逆転に成功するが、直後には相手捕手の後逸で本塁に突入した西村が憤死し“さらなる1点”を加えることはできなかった。そして、タイブレークとなった延長10回も、やはり無死一、二塁でバントを失敗してしまう。

 守りの面でも、失点に繋がるミスが出た。1点リードの4回二死三塁だ。その直前、川崎監督は一死二、三塁の状況で『サード以外の内野は後ろでOK』という指示を出している。つまり、1点(同点)はOKという陣形を選択したのだった。そこで、注文通りのファーストゴロが来た。これで三塁ランナーの生還を許して同点となったが、明豊としては計算通りのアウトである。ある意味、明豊にとっては“アウトの取り方としては100点”のプレーだったが、その直後にサードの送球エラーで逆転を許してしまうのだ。

「大阪に入ってから、じつは練習中に一度だけ『負けるとしたら送球エラーとバントや。だから、もう一回キャッチボールをやり直せ』と言って、強めの雷を落としているんです。捕球のミスはともかく、送球エラーは絶対に負けにつながるので、もう一度見直せと。今年のチームは守りに対する不安をずっと抱えていました。ただ、今年の春は打てずに負けている。そういう事情もあって、どうしても甲子園で勝負することを考えると、最優先で取り組んでいたのはバッティングだったんです。

 もちろん、守備を疎かにしていたつもりはありませんが、どうしてもバッティングに比重を置いていたのも事実なんです。実際に最後の最後になってバッティングの状態が本当に良くなってきたこともあり、そこに意識が行きすぎてしまったのかもしれません。選手たちは本当にベストを尽くしてプレーしてくれました。敗因は決してひとりのミスのせいでもありません。しかし、負ける時はやはり不安要素が形として出てしまうものです。それを何度も経験しているのに、またしても不安要素の部分で負けてしまいました」(川崎監督)

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著者プロフィール

1976年大分県竹田市生まれ。東京での出版社勤務で雑誌編集などを経験した後、フリーランスライターとして独立。2006年から故郷の大分県竹田市に在住し、九州・沖縄を主なフィールドに取材・執筆を続けているスポーツライター。高校野球やドラフト関連を中心とするアマチュア野球、プロ野球を主分野としており、甲子園大会やWBC日本代表や各年代の侍ジャパン、国体、インターハイなどの取材経験がある。2016年に自著「先駆ける者〜九州・沖縄の高校野球 次代を担う8人の指導者〜」(日刊スポーツ出版社)を出版した。

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