ジョシュ・ホーキンソンがバスケW杯に見参 日本を愛する“鷹大”が今度は結果で恩返しを

テレビ朝日

帰化選手として日の丸を背負うことになったジョシュ・ホーキンソンは、日本行きの経緯を丁寧に説明 【(C)テレビ朝日】

大学卒業後から日本一筋でプレー

 男子日本代表はトム・ホーバスヘッドコーチ体制に移行後、ニック・ファジーカス(川崎ブレイブサンダース)、ルーク・エヴァンス、(ファイティングイーグルス名古屋)、ウィリアムス・ニカ(島根スサノオマジック)、ジョシュ・ホーキンソン(信州ブレイブウォリアーズ)の4人が帰化選手として日の丸を背負った。ロスター12人中1人と限られた帰化枠には、ホーキンソンが名を連ねることに決まり、「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」に挑むことになった。そして、ホーキンソンは第2戦のフィンランド戦でチーム最多となる28得点を挙げ、歴史的勝利に大きく貢献した。

 28歳と全盛期で世界大会を迎えるホーキンソンは、アメリカのワシントン州シアトル出身。ワシントン州立大学では2年目から得点とリバウンドでシーズン平均“ダブルダブル”の活躍を見せ、NBAチームのトライアウトを受けたが、4シーズン目を終えてもドラフトで名前が呼ばれることはなかった。NBA下部のGリーグ、ヨーロッパやアジアなど様々な選択肢から、当時B2所属のFE名古屋でプロキャリアをスタートさせることに決めた。

「僕のエージェントが日本に行くように勧めてくれたんだ。当時はまだ日本のことをあまり知らなかったけど、エージェントが『日本は大きくて技術のある選手を好んでくれる』などと言ってくれました。話を聞いたあと、ロサンゼルスで行われたBリーグのトライアウトに参加したら、FE名古屋が僕のことを気に入ってくれて、オファーを出してくれたんだ。家族とも話して、日本に行くことを決意しました」

日本国籍取得の決断

ジョシュ・ホーキンソンがホームシックに悩んでいたときに、父(右)は日本を受け入れるように諭した 【(C)テレビ朝日】

 父親はノルウェー、母親はデンマークでプレーした元プロバスケットボール選手。「両親は海外でプレーした経験があるので、僕にアドバイスをくれたし、今後の心構えも教えてくれました」とホーキンソンは明かしたが、来日直後は母国から遠く離れた日本での生活に苦しんだという。

「3、4カ月はホームシックで、帰国したくてたまらなかったね。楽しめていなかったし、バスケットボールを好きではなくなっていた。でもその時、父親が日本に来てくれて、精神的に僕のことを変えてくれたんだ。父親は僕に『もっと外に出ろ』、『文化を受け入れろ』と。それまでは文化、食べ物、人も受け入れていなかったけど、受け入れるようになってからまたバスケットボールを好きになったし、日本のことも好きになりました。素晴らしい人たちの前でプレーする喜びも感じました」

 FE名古屋で3シーズンを過ごし、2020-21シーズンに信州ブレイブウォリアーズへ移籍。活躍の場をB1に移した頃、日本国籍取得を検討するようになった。「例えば6年連続で住んでないとダメとか、日本語の試験に合格しなければいけないとか、いろいろな書類を書かなければいけないとか」。日本国籍取得の壁は高かったものの、2023年2月に帰化が発表された。

「一番の理由は、僕をここまで成長させてくれた人、関わってくれた人たちに恩返しをしたかったから」。日本を愛し、国籍変更という大きな決断を下した背景には、特に「名古屋の父親」と呼ぶ2人の存在があった。

「あだ名だけど、1人は理容店のトミオさん。もう1人はトレーナーのティーさん。チーム以外で初めて友達のような存在になってくれて、日本での暮らし方を教えてくれました。実の父が『外に出ていろいろと経験しなさい』と言った時、彼らがそれを手伝ってくれたんだ。彼らがいなかったら、今の自分は存在していないと思っています」

「パスポートを取得した直後の試合、観客が総立ちになって、拍手して僕を迎えてくれたんだ。その時はすごく感動したよ。彼らのためにも頑張らなければいけないと思いました」とも話し、帰化発表時に在籍した信州ブレイブウォリアーズのファン、ブースターにも感謝の意を表した。

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