河村勇輝はバスケW杯で活躍できるのか? B1史上最年少MVPが立ち向かう高い壁
河村は22歳で、昨季のBリーグMVP 【(C)JBA】
河村は2022年3月に東海大を中退していて、昨季(2022-23シーズン)はプロのルーキーイヤー。その彼が新人王だけでなくMVPまで受賞したことは、大きなサプライズだった。ウインターカップを連覇した福岡第一高時代から全国区の人気者だったが、今や実力も伴う日本バスケの「顔」となりつつある。
河村がBリーグで越えてきた壁
一方で壁に直面し、それを克服してたどり着いた成長の証が昨シーズンだった。三遠ネオフェニックスでプレーした特別指定初年度は、アシストとほぼ同じ数のターンオーバーを献上している。横浜BCでプレーした大学1年時は1試合平均が6.0得点にとどまり、3ポイントの成功率は27.7%まで落ちた。
当時はコロナ禍で対人プレーや実戦が制限された時期で、また彼の強みも研究され始めていた。今思えばペースの速いバスケで生きる河村と、セットオフェンスを重視するカイル・ミリングヘッドコーチ(当時)のズレもあった。加えて大きかったのが「身体と感覚のミスマッチ」だ。
東海大でウエイトトレーニングに取り組んだ結果、身体のバランスが一時的に変化していた。現在は172センチ・70キロの登録だが、まだ成長中。取材者として今も会うたびに「また上腕、上半身が太くなった」と感じる状況が続いていた。彼は以前、このような説明をしていた。
「身体作りにずっと徹していた分、(身体を)コントロールする難しさもありました。やはり感覚は変わりましたね。上半身が大きくなればなるにつれて、ボールを飛ばす力も大きくなります」
しかし2021-22シーズンは青木勇人HCの戦術にハマった。プレータイムは前年とほぼ同じだったが、1試合平均10.0得点、7.5アシストと一流の数字を残した。アシストとターンオーバーの比率は大幅に改善し、3ポイントシュートの成功率も41.8%とV字回復。2022年1月は現役大学生ながら月間MVPを受賞し、旬の状態でプロ入りを発表した。
昨シーズンは飛躍と挫折を経験
現在は3Pシュートの成功率も安定している 【(C)B.LEAGUE】
数字以上に印象的だったのは勝負強さとバスケIQだ。昨季の彼は第4クォーターの拮抗した展開で試合を決定づける“重みのある得点”が多かった。年上や外国籍を鼓舞し、適切な判断とコミュニケーションで動かすリーダーシップも発揮。相手の対応を見切り、勝負どころで冷静に的確なカードを切る老練さはベテラン以上だった。
相手ディフェンス(DF)から河村を見た最大の脅威は、相手の右側から抜けていくドライブ。わずかでもスペースを空けると、一気にゴール下まで切れ込んでしまう。早いタイミングで「縦」「右」を切っても、この2シーズンは左斜めからのシュート確率が上昇していた。そんな技術的な成長もブレイクを支えている。
ただMVPを受賞した1年の中でも悔しい挫折はあった。シーズン終盤の4月2日、滋賀レイクス戦で右太ももを傷め、川崎ブレイブサンダースと繰り広げていた中地区首位争いの佳境7試合に欠場。チャンピオンシップではセミファイナル(準決勝)進出に貢献したものの、川崎とのクォーターファイナル第2戦で同じ箇所を負傷してしまった。
8月の強化試合は問題なくプレーしているが、7月のチャイニーズ・タイペイ戦、韓国戦に欠場し、周囲をやきもきさせた。ケガには不可抗力の部分もあるとはいえ「フルシーズンを戦い抜く」ことも河村にとっては難題だったはずだ。
6月の取材ではこう口にしていた。
「技術・戦術だけではなく、大事な試合のタイミングで力が発揮されなかったことが、やはり昨シーズンの悔しさ。昨シーズンを超えるとなれば、もう日本一しかない。反骨心というか、悔しさをどれだけ持って戦い抜けるかが一番大事だと思う」
日本代表で変わる役割
仲間を引っ張る、生かすことはPGの大切な役割 【(C)JBA】
日本代表に入れば、横浜BCとは役割が変わる。彼もこう述べていた。
「元々、自分は他の選手を活かすのに特化したポイントガードなので、代表に来てそれをやるべきだと思っています。たくさん選択肢がある中で、色んな選手の特性を生かしてその選手が思いきりプレーできるように、僕はゲームメイクをできればいい」
昨季の横浜BCは「どう河村の強みを引き出し、得点を取らせるか」という発想でオフェンスが作られていた。日本代表はシューティングガード(SG)にシュートの名手・富永啓生がいて、パワーフォワード(PF)にはNBAプレイヤーの渡邊雄太がいる。となればPGは「司令塔」に徹することが勝利の近道だ。彼もコメントのようにその役割に対して前向きで、難しさを感じている様子もない。