ネーションズリーグで初のメダル獲得の快挙 バレー男子代表が諦めず進んできた道のり
日本時間24日未明(現地時間23日)、ポーランド・グダニスクで行われたネーションズリーグファイナル、3位決定戦に臨んだバレー男子日本代表はフルセットの末にイタリア代表との戦いを制し、同大会で初めてのメダル獲得を成し遂げた。
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何度もチャレンジしながら阻まれた五輪予選。08年のワールドリーグではワイルドカードでファイナルラウンドへ進出したにも関わらず、選手だけでなく協会も含めた組織としての準備不足が露呈し、むしろ貴重な経験すらも活かせなかったこと。振り返れば、いつも悔しさを噛みしめてきた選手たちやスタッフの顔がいくつも浮かんでくる。
一朝一夕で、この結果が得られたわけではない。長い積み重ねと、諦めず進んできた道のり。そのすべてが、歓喜の瞬間へとつながる要因だった。
フィリップ・ブランの招聘と現れ始めた変化の兆し
とはいえ17年の当初からすぐに結果が出たのかと言えばそうではない。
翌年(18年)の世界選手権出場権を手にし、アジア選手権も制覇。「戦える」と自信を持って迎えたワールドグランドチャンピオンズカップでは0勝5敗で最下位に終わり、出鼻をくじかれた。さらに18年、イタリアで開催された世界選手権は、本選出場を果たすもグループリーグで敗退。試合になっていきなり試したというポジションの変更など、戦術もどこかチグハグで、チーム内の雰囲気も今のように誰が出ても強い、誰が出ても楽しい日本代表のバレーボールが展開できていたわけではない。事実、大会終了後には中垣内監督の進退も問われたほどだ。
今へつながる変化の兆しが形になって現れ始めたのは2019年のワールドカップだ。
以前はワールドカップの上位2チームに五輪出場権が与えられることから、出場国にとっては五輪に次いで最も多くの出場国数と大会の歴史を誇る世界選手権と並び、ワールドカップは大きなウェイトを占める大会だった。だがこの年から五輪出場へ向けたプロセスが変わり、ワールドカップが開催される五輪前年に五輪予選が行われ、開催国を除いた6チーム(3グループの各上位2位)が出場権を手にし、その7チームを除いた国の中から、五輪が開催される年のネーションズリーグを終えた時点の世界ランキング上位5カ国が五輪への出場権を得ることになった。
そのため、19年のワールドカップは出場国のすべてがベストメンバーで臨んだかと言えば、一概にイエスとは言い難い。だがベストに近いメンバーや、ベストメンバーで臨むチームも決して少なくはない中、日本代表は1991年以来となる4位と飛躍的なステップアップを遂げた。特に最終戦のカナダ戦では、最後にリリーフサーバーとして出場した西田有志がのべ5本のサービスエースを含む6連続ポイントでの逆転勝利で、ド派手に試合を締めくくった。
西田だけでなく、東京五輪から日本代表で主将を務める石川祐希やリベロの山本智大、セッターの関田誠大など、日本代表の主軸として活躍した多くの選手が世界に強烈な印象を残した。そして、選手たちには「世界を相手に、日本がすべきバレーをすれば戦える」という自信が芽生え、21年の東京五輪では29年ぶりのベスト8(最終成績は7位)。グループリーグ最終戦、負ければ敗退のイラン戦もネーションズリーグと同様にフルセットの激闘となったが、最終セットの1本目に石川が放った鮮やかなサーブがチームに勝利をもたらした。組織力だけでなく個人技でも十分世界と渡り合える、というこれ以上ない自信を示した成果でもあった。