今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【楽天編】 “伝説の決勝”演じた右腕と奪三振記録を打ち立てた左腕
2006年夏、延長再試合の決勝戦を戦った駒大苫小牧のエース・田中(楽天)。初々しい表情が印象的だ 【写真は共同】
セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は楽天編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。
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田中将大:駒大苫小牧(南北海道)
兵庫県伊丹市の「昆陽里タイガース」で捕手を務めて“投手・坂本勇人”とバッテリーを組んでいたエピソードは有名だが、それはプロになって以降に知られるようになった話。最初に“投手・田中”が世に出たのは、高校2年の2005年春だろう。前年夏の甲子園を制したチームとして注目を集めた中、1回戦で戸畑(福岡)を相手に9回6安打1失点(自責0)の完投勝利をマーク。続く神戸国際大付(兵庫)戦では救援登板で4回無安打無失点ピッチングを披露。チームは2回戦敗退となったが、その後に活躍に通じる大舞台での強さを存分に見せた。
そして「光」になったのが2005年の夏だ。松橋拓也との2枚看板で4試合(先発2試合)に登板。準々決勝の鳴門工(徳島)戦では3回途中からリリーフして12奪三振をマーク。準決勝では辻内崇伸(元巨人)、平田良介(元中日)を擁して当時「西の横綱」と言われていた大阪桐蔭(大阪)を相手に7回1/3を6安打5失点(自責4)で9奪三振の力投を演じると、決勝の京都外大西(京都)戦でも5回途中からリリーフして好投。最終回は圧巻の三者連続三振で頂点に立った。
2年生で甲子園優勝投手となった田中は、新チームになって以降“絶対的エース”となって連勝街道を歩み、世代ナンバーワン投手の地位を確立する。だが翌2006年、3年春のセンバツ大会が部員の不祥事で辞退となると、満を持して迎えたはずの3年夏は大会直前にウイルス性腸炎で体調を崩し、本調子とは程遠い状態でマウンドに上ることになる。それでも初戦の南陽工(山口)戦で9回7安打3失点14奪三振の完投勝利を収め、その後も青森山田(青森)、東洋大姫路(兵庫)、智弁和歌山(和歌山)との接戦を勝ち抜き、再び決勝舞台にたどり着いた。
だが、この大会の「主役」は早稲田実(西東京)のエース・斎藤佑樹(元日本ハム)だった。田中は決勝2試合(1対1、3対4)で計20イニングに渡って力投を続けたが、あと一歩及ばず。最後は自身が斎藤の144キロのストレートで空振り三振に打ち取られた。だが、「伝説の決勝」と語り継がれる死闘を終えた田中がゲームセット直後に見せた笑みは、その後の野球人生の中で強く、何度も、強く光り輝くことになった。
夏の甲子園2連覇、3年連続で決勝進出を果たした駒大苫小牧だったが、田中の卒業後に名将・香田誉士史も辞任。春の甲子園は2014年、2018年と2度出場も、夏は2007年を最後に遠ざかっている。今年のチームはエース・北嶋洸太(3年)を中心に春季全道大会で優勝。多くのファンが“聖地帰還”に期待を寄せている。
松井裕樹:桐光学園(神奈川)
1年夏は神奈川県大会決勝で近藤健介(現ソフトバンク)、柳裕也(現中日)らがいた横浜相手に先発して4回2安打無失点の好投も、チームは延長10回サヨナラ負け。1年秋からエースとなり、迎えた2年夏、県準々決勝で横浜と対戦し、再び柳と投げ合った上で淺間大基(現日本ハム)、髙濱祐仁(現阪神)などを揃えた打線を9回3安打3失点。決勝では齊藤大将(現西武)がいた桐蔭学園に勝利して神奈川の頂点に立った。
そして迎えた2012年夏の甲子園初戦で周囲の度肝を抜く。打者から「消える」スライダーを武器に、初戦で今治西(愛媛)相手に大会新記録となる10者連続&22奪三振をマークして2安打完封劇を披露する。その後も奪三振ショーを続け、2回戦の常総学院(茨城)戦で19奪三振、3回戦の浦添商(沖縄)戦では12奪三振をマークして勝ち上がる。準々決勝の光星学院(青森)戦でも田村龍弘(現ロッテ)、北條史也(現阪神)を揃えた打線から計15奪三振を奪ったが、9回3失点で敗退。それでも大会を通して4試合、36イニングを投げて歴代3位となる68奪三振、奪三振率は実に17.00の快投をみせた。
そこからの1年間は“松井フィーバー”の時を過ごした。常に注目されるマウンドの中で自身も進化、成長した姿を見せていたが、3年時は春、夏ともに甲子園出場ならず。最後の夏は徹底した“松井対策”の練習を積み重ねてきた横浜の淺間、髙濱に被弾し、8回8安打3失点で敗退した。
神奈川のレベルの高さはあったが、最後の夏に県大会で敗れたこと、さらに174センチという高くない身長、右足が突っ張る投球フォームなども指摘され、当時の松井の将来性に対しては懐疑的な目を向ける声もあった。だが、その声をプロの舞台で見事なまでに吹き飛ばしている。
あれから10年、今年の神奈川大会は、エース・杉山遙希(3年)、注目の遊撃手・緒方漣(3年)を擁する横浜が本命に挙げられているが、今春の県王者の慶応、さらに東海大相模、相洋、横浜隼人など多士済々。桐光学園はノーシードからの登場で激戦を勝ち抜き、16日に4回戦を迎える。
小郷裕哉:関西(岡山)
岡山県倉敷市出身で隣接する岡山市の関西高校へ進学し、1年夏からレギュラーを掴む。「2番・セカンド」として出場した同年秋の神宮大会では、決勝で上林誠知(現ソフトバンク)を擁した仙台育英に敗れるも、1年生ながら打率.419をマークして注目を集めた。
そして2013年、2年春のセンバツ大会で甲子園デビュー。だが、初戦で和田恋(現楽天)がいた高知(高知)と対戦して1対5で敗退。「2番・セカンド」で出場した小郷は、自第1打席で四球、第2打席から3打席凡退の後の第5打席で意地の3塁打を放ったが、勝利には結びつかなかった。
新チームとなって4番に座ると、2014年夏の県大会で打率.474をマークするとともに4盗塁とスピードも見せて打線を引っ張り、関西を3年ぶり9度目の甲子園出場に導く。だが、甲子園では富山商(富山)相手に初戦敗退。自身も4打数無安打2三振に倒れ、高校通算28本塁打の力を大舞台で発揮することはできなかった。
甲子園でのアピール不足もあってか、プロ志望届を提出するも指名漏れ。それでも進学した立正大で自身の実力を証明しながら成長を遂げてプロ入り。甲子園に2度出場も2試合で1安打のみ、大学を経ての指名順位も7位と低いものだったが、そこから這い上がり、しっかりと1軍の戦力となっている男の道程には、田中、松井らとは違った“強さ”がある。
今年の関西は2回戦で倉敷工に惜しくも3対4で敗れた。だが、今年の岡山は注目度が高く、春の県大会王者で中国大会4強入りの岡山学芸館を中心に、春準優勝の玉野光南、昨秋優勝のおかやま山陽など、実力拮抗で見どころ十分となっている。
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