今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【西武編】 圧巻の投球で頂点に立ったエース、野手でプロ入りした男も
西武の現エース・髙橋(西武)は2年夏の甲子園を圧倒的な投球で制した 【写真は共同】
セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は西武編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。
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髙橋光成:前橋育英(群馬)
群馬県沼田市生まれ。高校1年夏からベンチ入りすると、エースとなった1年秋の県大会制覇に貢献したが、当時はまだ粗削りで制球力に課題があり、実際に関東大会で脆さを見せていた。だが、2年生となって迎えた2013年夏、県大会で投げる度に調子を上げ、東農大二との決勝戦では4安打完封劇を披露し、前橋育英を夏の甲子園初出場に導いた。
その勢いは甲子園でも止まらず。初戦で岩国商(山口)を相手に9者連続三振という離れ業をやってのけた上で、9回5安打13奪三振での完封劇で勝利すると、続く樟南(鹿児島)戦でも9回5安打で連続完封をマークする。さらに3回戦では髙濱祐仁(現阪神)、淺間大基(現日本ハム)を擁した横浜(神奈川)を9回8安打ながら1失点(自責0)に抑え込み、準々決勝の常総学院(茨城)戦では、2番手でマウンドに上がって5回無失点、10奪三振の力投で、延長10回サヨナラ勝ちを呼び込んだ。
猛暑と連戦の中でさすがに疲れの色を見せたが、それでもピンチになると1段階ギアを上げる堂々たるピッチングで、準決勝の日大山形(山形)戦で9回7安打1失点(自責0)、決勝の延岡学園(宮崎)戦は9回6安打3失点(自責2)で、チームを甲子園初優勝に導いた。大会を通して全6試合、計50イニングを投げて被安打34、46奪三振での防御率0.36という数字は、「春」ではなく「夏」だということを理由に、さらに価値の高いものとなっている。
最終学年は故障に泣いて甲子園に出場することができなかったが、大会終了後に高校日本代表に選ばれ、小島和哉(現ロッテ)、栗原陵矢(現ソフトバンク)、岡本和真(現巨人)、岸潤一郎(現西武)らとともにアジアの舞台を戦った。そしてプロ入り後も順調に成長し、26歳となった今季はさらにスケールアップした姿となり、西武のエースに君臨している。
前橋育英は髙橋の卒業後、2016年からコロナ禍で中止となった2020年を挟んで夏の群馬大会5連覇を果たしたが、昨年は準々決勝で樹徳に0対6で敗れる悔しい結果に終わった。俊足巧打の遊撃手・小田島泰成主将(3年)を中心に、今夏の復権なるか。7月15日に初戦を迎える。
今井達也:作新学院(栃木)
3年春までは全国的にはほぼ無名だった。高校入学当初から球のスピードこそあったが、2年時までは不安定さの方が目立ち、2年夏には県大会では背番号11でベンチ入りするも、甲子園メンバーから外れる悔しさを味わった。新チームとなって背番号1を背負うも、結果を出せずに同学年の入江大生(現DeNA)にエースの座も奪われ、チームも2年秋が県ベスト4、3年春は県ベスト8で敗退。今井の名が高校野球ファンに知れ渡ることはなかった。
だが2016年夏、3年生となって迎えた最後の夏、今井は一気にスターダムにのし上がる。入江の一塁コンバートによって再びエース番号を背負って甲子園の舞台にたどり着くと、初戦の尽誠学園(香川)戦で自己最速の151キロを記録しながら9回5安打13奪三振での完封勝利。続く花咲徳栄(埼玉)戦では自己最速を152キロに更新した上で9回を6安打2失点10奪三振と、高橋昂也(現広島)に加えて1学年下の西川愛也(現西武)や清水達也(現中日)がいたチームを力でねじ伏せたのだ。
そして決勝でも北海(北海道)を相手に9回7安打1失点の好投を演じて全国制覇。同大会で全5試合に先発して計41イニングで被安打29、44奪三振、防御率1.10という成績を残し、作新学院を54年ぶりの優勝に導いた。
この活躍で、大会前の「高校ビッグ3」(寺島成輝、藤平尚真、高橋昂也)の呼称が、大会途中から今井を加えた「高校ビッグ4」に変わったことも印象的な事象だった。そしてプロ入り後も、まだ不十分ではあるが、苦しむ同世代のピッチャーの中ではしっかりと実績を残している。
今年の作新学院は、春のセンバツ大会でベスト8入り。夏の県大会は、初戦で栃木工に7対0で勝利し、7月15日に2回戦を迎える。強打を武器に2年ぶりの夏の甲子園出場、さらに全国舞台での上位進出へも期待が高まっている。
平沼翔太:敦賀気比(福井)
甲子園初登場は2014年の夏だった。2年生エースとして聖地のマウンドに上ると、初戦の坂出商(香川)戦での9回3安打完封劇を含めて、計3試合で完投勝利を収めてベスト4進出に大きく貢献。準決勝では大阪桐蔭(大阪)を相手に6回途中で12失点と炎上し、9対15で敗れた。
そのリベンジを最高の結果が果たしたのが、「エースで4番」となって迎えた2015年の3年春の甲子園だった。1回戦の奈良大付(奈良)での9回1安打10奪三振での完封劇を皮切りに、決勝までの全5試合を一人で投げ抜く活躍ぶり。準決勝では前年夏に敗れた大阪桐蔭(大阪)を相手に、今度は9回4安打完封の快投を披露して11対0の大勝。決勝では東海大四(北海道)を3対1で下し、敦賀気比を福井県勢初の優勝に導いた。
大会成績は、全5試合、計45イニングを投げて、被安打22、39奪三振、防御率0.40。決してストレートの球速は140キロ前後と平凡だったが、切れのあるスライダーを武器に投球術に長けたピッチャーだった。ただ、最後の夏は投手としての調子を崩し上し、2回戦で花巻東(岩手)に4回9安打4失点で途中降板して3対8で敗れることになった。それでも打者として最後の甲子園で打率.625(8打数5安打)と優れたミート力を披露し、プロ入り後も野手として勝負している。
敦賀気比の甲子園最高成績は、春、夏ともに平沼がいた2015年の春優勝と、2014年夏のベスト4だ。今夏は5年連続の甲子園出場を目指すが、春の県大会初戦で福井工大福井に敗れてノーシードからの登場となる。
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