羽生結弦が『オペラ座の怪人』を滑った意味 思い残したものを拾い上げ、新たな息吹を吹き込む

沢田聡子

東京ドーム公演後に芽生えた思い

「スターズ・オン・アイス」大阪公演、『オペラ座の怪人』を滑る羽生 【写真は共同】

 しかしプロとなった羽生は、2月に東京ドームで開催した単独公演『GIFT』で、『オペラ座の怪人』を再演した。本質的な自分とペルソナ(仮面)の自分を認められるような時間にしたかったという羽生が、ペルソナを暗示するプログラムとして『オペラ座の怪人』を滑ったのだ。ドーム公演を終えた羽生は、『オペラ座の怪人』について「もっと完成させたものを、もっと体力のあるしっかりと滑り切れる状態で、このプログラムを皆さんにお届けしたい」と考えたという。

 そして、「スターズ・オン・アイス」大阪公演で『オペラ座の怪人』を滑った理由はもう一つあった。

「また『スターズ・オン・アイス』のこの会場では、僕自身その衝突事故の後、すぐにこの会場で滑っていて。あの時は事故の影響も少なからずあって上手く滑れなかったので、そういった意味でも『この会場でいい演技ができたらいいな』という思いも込めて滑っています」

 『スターズ・オン・アイス』の最後に大歓声を浴びて登場した羽生は、競技さながらの引き締まった表情でスタート位置についた。4回転トウループ―3回転トウループを決めると、トリプルアクセル―2回転トウループ、トリプルアクセル―オイラー―3回転サルコウと次々に高難度ジャンプを成功させていく。計5つのジャンプを跳んだ羽生は、曲のクライマックスで壮大なレイバックイナバウアーを見せる。その美しい曲線には、約8年半を経てようやく呪縛から解き放たれた解放感が感じられた。

 苦しかった2014―15シーズンの記憶が染みついた『オペラ座の怪人』を、羽生は『GIFT』でペルソナを暗示するプログラムとして再生させた。その過程を経たことで、羽生にとって『オペラ座の怪人』は苦闘の象徴ではなく、自分の内面を表現するプログラムという新たな意味を持ったのだろう。

 プロスケーターとしての羽生結弦は、アマチュア時代に思い残したものを1つ1つ拾い上げながら、プログラムに新たな息吹を吹き込む歩みを続けている。

2/2ページ

著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント