“開始2秒の転倒”から始まった木原龍一の10シーズン 最高のパートナーとたどりついた「世界の頂点」

沢田聡子

日本代表ペアとして初の金メダルを獲得した三浦/木原 【写真:ロイター/アフロ】

自信と感謝を胸に臨んだ世界選手権

「胸を張ろう」

 世界選手権のフリーを滑り終え、ミスを悔やんで落ち込んだ様子の三浦璃来に、木原龍一はそう語りかけた。

「一生懸命やってきたから、観客席を見てごらん。これだけみんなが讃えてくれているから、見てごらん。胸を張ろう。この結果はどうなるか分からないけど、もう祈るしかないけど、胸を張って今は帰ろう」

 三浦/木原のフリーの得点は、自己ベストを更新する141.44。フリーだけの順位では2位だったものの、ショートでのリードが効いて総合では1位(合計点222.16)となり、日本代表ペアとして初めて世界選手権で金メダルを獲得した。

 世界選手権開幕前日の公式練習後に行われた囲み取材で、さいたまスーパーアリーナでの思い出について問われた木原は「僕は(フリーの)開始2秒でこけたことですかね」と答えている。

「2013年の全日本(選手権)なのですが、それをすごく覚えています。全日本最速記録だと思います。初めてのペアの試合で、やっぱり地に足がついてない状態だったのかも分からないですけど」

 そしてそのシーズン、さいたまスーパーアリーナでは2014年世界選手権も開催されている。当時のパートナーとのペアで出場した木原は、ショート17位だったため上位16組で競うフリーに進出することはできなかった。

 それから10シーズンを経て、三浦とのペアで躍進を続けている木原は、前回大会銀メダリスト、そして優勝候補として世界選手権の会場であるさいたまスーパーアリーナに戻ってきた。

「僕は初めての世界選手権がこの会場で、10シーズン経ちました。最初の大会はものすごく自信がない状態で、いつも正直試合が怖い気持ちがあったんです。けれども10シーズン経って、璃来ちゃん、ブルーノ(・マルコット)コーチと一緒に、自信を持ってここに帰ってくることができ、また出場できることになって、緊張感というよりは嬉しさ、感謝の気持ちが強いかなと思います」

「精神的にはまだまだな部分はあると思うのですが、10年間いろいろなことを経験させていただいて。『フィギュアスケーターとしてどうあるべきなのか』ということをいろいろなことから学ばせていただいて、精神的な変化は大きかったのかなと思います」

 北京五輪では団体の銅メダル獲得に貢献した二人は、多幸感あふれるスケーティングでフィギュアスケートファンの心をつかみ、人気者となった。木原は、2014年世界選手権の際には「プラクティスリンクに見に来てくださった方は少なかった」と言う。

「今回僕たちの練習にたくさんの方が足を運んでくださって、タオルを掲げてくださったので『嬉しいよね』という話をしました」

 三浦も「そうですね」と応じる。

「“りくりゅう”タオルをみんないっぱい振ってくれていたので、『嬉しいな』という話をしていました」

 三浦/木原は、注目を浴び、期待を背負って国内開催の世界選手権に臨もうとしていた。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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