連載コラム「工藤公康の野球ファイル」

工藤公康は侍ジャパンWBC優勝に何を感じたか 心を震わせた監督・選手たちの「利他の心」

工藤公康

栗山監督だからこそできたチーム作り

工藤氏は、栗山監督の人心掌握を含めたマネジメント力を絶賛する 【Photo by Daniel Shirey/WBCI/MLB Photos via Getty Images】

 そして何より、この豪華メンバーを集め、ダルビッシュ選手や大谷選手をはじめ、チームとしての士気を常に高い状態でまとめていた栗山英樹監督のマネジメント力も本当にすごいと感じています。

 栗山監督はおそらく、“決勝で勝つ”ことをイメージしながら、逆算をして投手・選手の起用を考えていたと思います。優勝するという目標の中で、何度も何度もシミュレーションをして準備を重ねる。そして勝ち上がっていく中で、準々決勝以降をどのように戦っていくのかを常にブラッシュアップをして臨んでいたことと想像します。決勝での戦い方が決まったことで、そこで逆算をして、準決勝は佐々木朗希投手から山本由伸投手へ、という起用法になったのだと思います。

 今回のチームは、“利他の心”をもって野球道を歩んできた栗山監督だからこそのチーム作りだったと思います。一人ひとりが、つなぐ気持ちでチームのために動き、そして戦った相手チームに対しても敬意をもって接している選手の姿というのは、本当に心に残るものでした。

 WBCの戦いを通して、日本という国の素晴らしい野球選手たちが利他の心をもって行動をしてくれたことで、野球の面白さだけでなく、野球というスポーツの素晴らしさ、そして野球の魅力というものを、世界各国に示すことができたのではないでしょうか。

 WBC開催の一方で、世界では大変な状況の国々もあります。そういった状況だからこそ、これからの時代は、利他の心を持ち、周りと関わることの大切さというものを、日本の人たちだけでなく、他の参加国の選手やファンの方々にも伝えることができたのではないかと思っています。

 参加していた選手はもちろん、見ていた人も清々しいと感じた戦いの中で、スポーツを通じたつながり、素晴らしさを改めて感じることができたのではないでしょうか。

 このWBCの期間というのは、多くのファンの人たちにとっても、様々な想いを起こさせた3週間だったと思います。栗山監督はじめ、選手の皆様、参加した国々の皆様に、私も感動した一人として感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

(企画構成:スリーライト)

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著者プロフィール

1963年5月5日生まれ。愛知県出身。名古屋電気高校(現:愛知名電高校)から1981年、西武ライオンズからドラフト6位指名を受け、入団。西武黄金期を支え、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズに在籍。現役時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一に貢献し、優勝請負人と呼ばれた。現役通算で224勝を挙げ、最優秀選手(MVP)2回、最優秀防御率4回、最高勝率4回など数多くのタイトルに輝き、正力松太郎賞は歴代最多に並ぶ5回受賞。2016年には野球殿堂入りを果たした。2011年に現役を引退後、2015年に福岡ソフトバンクホークスの監督に就任。7年で3度のリーグ優勝と5度の日本一に導いた。現在は野球評論家として活動しながら、筑波大学大学院博士課程に進学。スポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動を行っている。

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