40歳の引退表明から、新種目で28年ロス五輪出場を狙う “NFLに一番近い日本人”木下典明が振り返るファルコンズ挑戦

永塚和志

“NFLに一番近い男”が2月に引退を表明した 【写真:永塚和志】

 日本のアメリカンフットボールが生み出した稀代のワイドレシーバー、木下典明が2月上旬、自身のSNSで引退を表明し、長いキャリアに終止符を打った。

 出身の立命館大学や社会人・Xリーグのオービック・シーガルズで数々の優勝を遂げてきた木下だが、2000年代半ばにアトランタ・ファルコンズから招聘され「日本で一番NFLに近い男」と呼ばれたことも彼の存在を際立たせてきた。

NFLファルコンズに帯同した2シーズン

 具体的には、2007年にファルコンズのシーズン前のトレーニングキャンプに参加し、翌年は「インターナショナル・プラクティス・スクワッド(IPS、外国人練習生)」枠で1シーズン、同軍の練習に参加し、ホームゲームのすべてに帯同している。

 そのときからすでに15年ほどときは経ち、現在、40歳となった木下。自身のNFL挑戦は「本当、誰もできないようなことを経験させてもらった2年間」だったと振り返る。

 大学卒業後、当時、NFLの下部組織的位置づけだったNFLヨーロッパのアムステルダム・アドミラルズに入団し、リターナーとしての活躍もあって2007年、木下はファルコンズのトレーニングキャンプから招待を受け、参加を決めている。そして上述の通り、2008年にはIPS枠で同じくファルコンズに1年帯同した。

 意外なことに、木下のなかでより色濃く脳裏に焼き付いているのはシーズンを通してチームにいた2008年よりも、1カ月強ほど練習に参加した2007年のほうだという。

 IPSというリーグが作った特別制度を使っての「お客さん」としての参加よりも、自身の実力を買ってもらってのそれだった2007年のほうが、より充実していたと感じるからだ。

 もう少し細かく説明すると、IPS枠の選手は練習には他の選手たちと同様に加われるものの、そこでどれだけ目立った活躍をしたとしても、そのシーズンにその選手が正式なロスター入りすることはできない規定だったのだ。

「2007年はロスター入りの可能性はあったなかで、2008年はそれがなかったので、ほんまにお客さん状態やったんですよね。もがいて、結果残して来年ということを考えて毎日、すごしていたんですけど…お客さん感は拭えなかったですね」

スター選手がHCにプレシーズンの出場を直訴

 正式にロスター入りする可能性がないなかでも木下は当然、練習で必死に取り組んだ。

 が、ほかの練習生らから「なんでお前はそこで(割って入って)やろうとするんだ」と言われたりもしている。木下と違って、彼らは正チームに故障者が出たときなど即座の昇格の可能性があったからだった。

 一方で、木下を気づかってくれたスター選手もいた。当時、NFLのトップワイドレシーバーの1人で、2008年から4年連続でNFLのオールスターであるプロボウルに選出されているロディ・ホワイトは、木下が英語に苦戦するなか、2007年のトレーニングキャンプ参加時から食事に誘うなど、気にかけてくれていたそうだ。

 2008年、木下はプレシーズン(オープン戦)に出場しているが、本来、シーズンでまったく出る可能性のない選手が試合でフィールドに立つことすら例外的なのだろう。この際に木下を出場させてあげるべきだと当時のヘッドコーチだったマイク・スミス氏にかけあってくれたのも、ホワイトだった。

「ロディ・ホワイトが『こいつ(木下)はもう(レギュラーシーズンの)試合に出ることは絶対にないんだ』と言ってくれて、僕、無理やりプレシーズンで出してもらったんです」

練習の順番を抜かしてアピールすることも

木下(写真中央)は必死のアピールを続けた 【写真:永塚和志】

 すでに記したように、木下がより充実感を感じていたのは2007年のほうだ。ファルコンズの本社と練習施設のあるジョージア州・フラワリーブランチへ木下が入ったのは、キャンプ開始から数日前だった。そこで電話帳ほどのぶ厚さのプレーブックを渡され、英語と格闘しながらの練習となったが、日々、世界の最高レベルをその環境に身を投じながら体感した。それほどまでの経験は、あとにも先にもほかの日本人選手が味わったことのないものだった。

「NFLのスーパープレー集みたいなのってあるじゃないですか。いまでいうとYouTubeで流れるような。ああいう、スーパーキャッチや、ディフェンスならインターセプトみたいなことが毎日の練習で起きているという感じですね」

 そういった実力者ばかりの環境のなかで、木下も自身をアピールすることに必死だった。たとえばワイドレシーバーがパスをキャッチする練習で、順番を抜かすなど、日本でする必要のないこともしていた。

「日本だとある程度のレベルの選手になると順番を待っていても(コーチ陣から)見てもらえるんですよね。だけど海外に行くと、3回しか回ってこないところを、順番をとばして5回でも7回でも見せるチャンスはあるので。そういうことをすることで自分のアピールになるんかなというのはありました」(木下)

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著者プロフィール

茨城県生まれ、北海道育ち。英字紙「ジャパンタイムズ」元記者で、プロ野球やバスケットボール等を担当。現在はフリーランスライターとして活動。日本シリーズやWBC、バスケットボール世界選手権、NFL・スーパーボウルなどの取材経験がある

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