アジアツアーレポート【5】Jリーグとフロンターレのアジアへの挑戦

川崎フロンターレ
チーム・協会

【© KAWASAKI FRONTALE】

2022シーズン終了後に行われた「川崎フロンターレアジアツアー2022」。タイではJリーグ主催の「2022 Jリーグ アジアチャレンジinタイ」に参加し、BGパトゥム・ユナイテッド、北海道コンサドーレ札幌と対戦。ベトナムでは「日越外交関係樹立50周年記念事業・特別親善試合」としてベカメックス・ビンズンFCと対戦した。Jリーグアジア戦略の一環として行われた今回のアジアツアーを終え、公益社団法人日本プロサッカーリーグ 海外事業部 部長の大矢丈之さん、株式会社川崎フロンターレ サッカー事業部海外事業担当ディレクターの池田圭吾さんにJリーグ、クラブの各海外事業担当の視点からアジア事業の展望を語ってもらった。

アジアチャレンジ再開までの道のり

「2022 Jリーグアジアチャレンジinタイ」の公式記者会見に臨んだ川崎フロンターレと北海道コンサドーレ札幌 【© KAWASAKI FRONTALE】

──Jリーグの取り組みとして『2022 Jリーグ アジアチャレンジinタイ』で、フロンターレはタイで2試合行いました。新型コロナウイルスの影響でここ2年間、海外事業がなかなか進まなかったようですが、Jリーグとしてはアジアチャレンジ再開までの流れをどうとらえていますか?

大矢「Jリーグ アジアチャレンジは2017年にはじめて、そのときは鹿島アントラーズ、横浜F・マリノスが参加しました。当時はJ1のクラブにタイ代表の選手がいなかったんですが、将来的にJリーグのクラブがアジアでもファンを獲得していこうという狙いがありました。ヨーロッパのビッグクラブが日本で試合をして盛り上がりを見せていますが、同じように現地でJリーグのチームがアジアで試合を行い、現地のサッカーファンに観てもらう機会を作りたい。そしてそれを事業として成立できるように、というチャレンジです。

また僕らはASEANの各国リーグと提携して、ともに成長しようというテーマを掲げてアジア戦略を進めています。ヨーロッパのクラブの海外ツアーと違って、運営も含めて手を取り合って進める新しい形の大会を作っていきたい。アジアチャレンジはもともと3年やることを決めていて、その3年間は収益事業というよりは投資として少しでも多くのサッカーファンにJリーグに触れてもらおうという考えがありました。最初の2017年は試合を成立させるだけで精一杯だったんですが、2018年、2019年は協賛企業のご協力をいただいたり、試合当日のスタジアム外のイベントにも力を入れられるようになりました。

そこで次のフェーズをどうしていこうかと考えはじめた矢先、新型コロナウイルスの影響で2020年、2021年はアジアチャレンジができなくなってしまいました。2022年になってコロナ禍が少しずつ落ち着いてきて、今年はどうだろうと話をしはじめたのが、チャナティップ選手がフロンターレにきて1、2ヶ月ぐらいですかね」

池田「そうですね。アジアチャレンジの話題が出たのが今年の3月、4月ぐらいだったと思います」

大矢「その時点では出入国後に行動制限があったので、チームや選手を簡単に海外に連れて行ける状況ではなくてまだ見通しが立たない状況でした。そんな状況のなかで、今年はワールドカップイヤーでシーズンが少し早く終わるので、各クラブからシーズン終了後に数週間活動したいという声が多かった。やるならそこだなとピン留めしたのが、ゴールデンウィーク前です。そのあたりから池田さんがあちこち飛び回りはじめたんじゃないかなと(笑)。ベトナム遠征はいつぐらいから話が出たんですか?」

池田「実はベトナムも同じぐらいの時期でした。当社の吉田(吉田明宏)が代表取締役社長に就任したタイミングの4月にACLグループステージがあったので、社長とともに開催国のマレーシアを視察して、タイでは在タイ日本国大使館の梨田大使、ベトナムでは在ベトナム日本国大使館の山田大使へご挨拶。三カ国行脚をしたんですね。ベトナムでは、日越外交関係樹立50周年の企画として何かしらやりたいよねという話のなかで、大使からトップチームの遠征の打診があり、吉田社長も検討しましょうという流れになりました。アジアチャレンジの件もあったので、タイからベトナムに行くのが可能かどうか検討しはじめたのが4月下旬から5月にかけてです。タイミング的にはほぼ一緒でしたね」

大矢「そうですね。吉田社長とご一緒させてもらって、タイの大手スポーツメディアのサイアムスポーツに挨拶に行きました。またタイリーグと話をして、Jリーグのシーズン終了後、ワールカップ開催前に試合ができるかどうかの相談をしました。以前タイリーグはJリーグとほぼ同時期の開催スケジュールだったんですが、2020年からヨーロッパ型に変わったのでアジアチャレンジの時期はタイリーグのシーズン半ばだったんです。まずその時期に試合を組むことの理解を得るのがスタートでした。ただ、タイリーグもJリーグとの交流を再開したいと思ってくれていて、ブリーラム・ユナイテッド、BGパトゥム・ユナイテッドという前シーズンのトップ2の名前を出してくれて、スケジュールも調整していただきました。今年はアジアチャレンジができそうだと見えたのが5、6月ですね。まぁ、その時点で残り5ヶ月しかなかったんですが、ワールドカップと重ならない方がいいと僕らは思っていたので、できるだけ早くやろうと決めていました。」

池田「クラブとしてはタイ、ベトナムの話が同時進行だったんですが、Jリーグ主催のアジアチャレンジのスケジュールがある程度固まったので、それに合わせてベトナムのスケジュールも組んでいった感じですね」

試合以外でも現地の方々に喜んでいただけるツアーになった(大矢)

アジアチャレンジ試合後に現地のファンと家長昭博選手が記念撮影 【© KAWASAKI FRONTALE】

──タイで主催試合を行うまでの準備期間が5ヶ月ということで、Jリーグとしてはけっこう忙しかったのでは?

大矢「そうですね。国内の試合だとクラブに運営していただいているんですが、今回は逆の立場でJリーグが試合の舞台を整えてクラブにきていただくという形でした。タイリーグの関係者にもお願いしながら試合運営をできるようにするんですが、今回コンサドーレの試合も含めてタイで3試合組みました。、結果的にスタジアムが2ヶ所になりましたがもともと3会場で考えていたので、5日間で3会場、しかもタイでの開催というのはけっこうハードルが高かったです。日本とは違って直前まで決まらないことが多かったですし、大枠を決めるだけでもけっこう時間がかかりました。」

──コンサートの影響でスタジアムの芝が荒れてしまい、フロンターレの2試合目(札幌戦)の会場が急きょサンダードームスタジアムから1試合目と同じBGスタジアムになりました。日本ではなかなか起こらないような状況で、何かと苦労が多かったのでは?

大矢「会場変更の判断はもっと早くすべきだったという反省はあるんですが、その一方でピッチコンディションさえよければバンコクのサンダードームが環境的にもアクセス的にいい場所だと思っていました。最後はフットボールのクオリティと、それ以外のクオリティのどちらを取るかというとことでした。またピッチに対する考え方もまったく違う国で、タイの関係者との協議も丁寧にやる必要がありました。」

──文化や国民性、時間の感覚を合わせながら企画を進めていくのも、海外事業の大変さですよね。

大矢「時間の感覚は池田さんも相当苦労されたのでは(笑)。何事もなかなか決まらないっていうのは多いですよね。」

池田「そうですねえ。タイは招待を受けて試合をするという形でしたが、ベトナムはクラブ主体となって進める中、タイと同じくなかなか決まらないというのはありました。私自身は数年ベトナムで担当している仕事があるのでその都度対応していくしかないというのはある程度理解しているんですが、うちのスタッフから『まだ決まらないのか?』とけっこう言われていました。Jリーグの皆さんには『まだですか?』と何度も話をさせてもらって申し訳ないなと思いつつ(笑)。私の経験上、東南アジアでの物事の進め方はどうしても最後に帳尻を合わせる形になるので、『まぁ最終的に何とかなるから、こっちはこっちで進めていこうよ』という話をスタッフにしていました。そういった意味では、うちのスタッフにとってもいい経験になったと思います」

大矢「Jリーグとしても試合をやるだけなら経験値はだいぶ上がってきているんですが、それを興行としてたくさんのお客様に来ていただいたり、企業の皆様にお越しいただいたりというのがチャレンジだと思っています。例えば1ヶ月前にはお客様にチケットを渡せる状況ができていて、VIPの招待状が手元にあるのが日本では当たり前のことです。でも東南アジアでは招待状を出すような文化ではないので、それを理解してもらうというのも一苦労です。

あとは池田さんや私といった担当者1人では大会運営ができないので、それぞれの担当スタッフも現地にきていただくんですが、現場を知っているメンバーと知らないメンバーではどうしても違いが出てきてしまいます。本当はスタッフ全員が現地のスタジアムに行って下打ち合わせできればいいんですが、どうしてもぶっつけ本番にならざるを得ないところがあります。また、急な変更が予想されるので、これで決まりましたと案内しづらい部分もあり、当日会場にきていただいて丁寧にご案内するしかないという感覚も持っていました。お客様や企業の皆様に対して迷惑がかからないように、不快にならないようにというところと、タイ側のペースに合わせながらの両方ですね。あまりせっつくと彼らは動かなくなってしまうので。うまく間を取りながら進めるしかないというのがジレンマでもあります。

でも今回のアジアチャレンジでは、フロンターレもコンサドーレも滞在期間を活用して試合以外でもいろいろな活動をされていました。ただ海外で試合をして帰ってくるだけではなくて、この機会を生かして一緒に事業としても拡大しようとされていたので、試合以外でも現地の方々に喜んでいただけるツアーになったんじゃないかなと。今回試合以外でもけっこうイベントを組んでいましたよね?」

池田「そうですね。タイではバンコク日本人学校への訪問、児童養護施設への訪問、サッカー少年向けのサッカー教室を開くことができました。約1週間の滞在で2試合というスケジュールでしたが、試合とトレーニングの間の時間をうまく活用しながら、選手と事業スタッフが連携してアクティビティができたのはすごく大きかったですね。うちでいうとチャナティップ選手がフロンターレに来て1年目なので、少しでもタイでクラブの認知度を広めていきたいというテーマがあったので、そこはよかったです」

──Jリーグアジアチャレンジを終えて、海外事業担当者としての手応えはいかがでしたか?

大矢「集客や視聴率は今まとめているところですが、今回のアジアチャレンジは過去最大の露出になりました。実際にフロンターレ対BGパトゥムの試合は会場のキャパシティは1万人ぐらいではありますが、販売開始から10日でチケットが完売しました。またコンサドーレ対ブリーラムの試合も前売りチケットの販売は芳しくなかったですが、最終的に当日2万人を超えるお客様にご来場いただきました。タイの文化的に前売りでの購入は少なく、直前もしくは当日になって動いてくるので集客が読めなかったです。最後のJリーグ同士の対戦は2日前に会場が変更になって実質1日しか券売期間がなかったんですが、それでも収容の7、8割に届いたので現地でもかなり注目されていた実感がありました。両チームにタイ人選手が所属しているのはもちろんですが、どのクラブも取材に協力していただいて告知もある程度でき、より多くのお客様に日本のサッカーに触れていただくという意味では合格点に近い結果を出せたのかなと思っています」

池田「クラブとしてはアジアでの試合といえばACLで、選手のコンディションが最優先事項でした。もちろん今回のアジアツアーも、ACLを見据えたチームの強化という観点があります。ただ、今回のツアーに関してはシーズン終了後ということで、クラブ全体としていろいろ経験値を積んでいこうと。事業的な観点からいうと海外活動で収益を上げていこうというテーマがあるなかで、タイ、ベトナムでそれぞれ日本とは違うユニフォームを制作してご支援いただけるパートナー企業様を募集、数社スポンサードしていただきました。アジアツアーの開催決定したあとからしか動き出しできないため、パートナー候補となる企業様の選定、提案および企業様とのやりとりは非常に限られた時間しかなく、そこはチャレンジでしたが、ひとつ成果として出たのかなと。あとはチーム以外の事業部だけでもタイでは約20人、ベトナムでの約10人がアジアツアーに帯同して、一緒に試合以外の活動を多くできたこともよかったです。個人的な話でいわせていただくと私が毎月海外出張をして内容は伝えてはいるんですが、『一体何してるんだ?』っていう見えない部分もありまして(笑)。それを今回のツアーを通して、スタッフに肌で感じてもらうことができました。またアジアのスタジアムの熱狂は日本とはまた違った盛りあがりがあって、それを実感できたのはいい機会だったなと改めて感じています」

「他のクラブの海外展開を引っ張っていけるような存在に」(池田)

熱気のあるスタジアムで試合が行われた日越外交関係樹立50周年記念事業・特別親善試合。 【© KAWASAKI FRONTALE】

──この経験を活用し、これからJリーグアジア戦略、クラブの海外事業を継続的に進めていけるかが今後のテーマといえそうですね。

大矢「そうですね。こうして海外事業に携わっていると、やはり現場を知ることがすごく大事だなと感じます。例えば国内だと川崎市に人口が何人いて、JリーグIDに基づいてどれぐらいのお客さんがスタジアムに足を運んでいて、客層の伸びしろとしてこのあたりを攻められるよねとか、データによる狙いどころをある程度定めることができます。でもアジアではそういったデータが取れないですし、取れるような環境ではないのが現状です。例えば毎年12月に大会を開催していって、いつ売上が伸びるんだ、いつファンが増えるんだっていう声もあると思います。Jリーグとして海外事業プロモーションに投資しているなかで、じゃあ5年後にどんな結果が出るんだとなったとき、正直ロジックに基づく数字が出しづらい状況です。

ただ、一度経験して現場の熱狂や肌感覚、東南アジアのスタジアムが満員になっているのを見ると、それをどう価値にできるかという肌感覚が生まれると思うんですよね。今回Jリーグのスタッフも満員のスタジアムを見て、現場の雰囲気を感じて、これだけできるんだっていう手応えを感じたりとか、名実ともにアジアのナンバーワンリーグであり続けるためにチャレンジすべきとういう思いを持ってもらえました。すべてのJクラブの関係者の方々を含めて、1人でも多くの人にアジアには日本とは違う熱があると感じていただくことが、この事業に関わる人を増やす意味でも大事なことだなと思います。今回フロンターレのスタッフに多くきていだいて、皆さん楽しそうな表情をしていました。日本の日常的な業務とはまた違ったことに取り組むことで、モチベーションの持ち方も変わると思います。Jリーグの取り組みだけではなくクラブが自ら出ていくことが次のアクションとして広がっていくと、こういう大会をやる意味がまた一つ増えると思ってます。」

池田「そうですね。ここ数年リモートワークが増え、一緒に対面でやり取りできる機会は少なくなっているなかで、今回のツアーを通してスタッフ間のコミュニケーションが深まったと思います。またパートナーシップ担当のスタッフに多くきてもらって、来シーズンの協賛に向けて日系企業の皆さんにアプローチすることができました。タイでの活動に対するパートナー獲得に向けて、クラブ一丸となって取り組んでいこうという意欲が一気に高まって、実際に動き出している部分もあります。海外事業担当だけでは動けないところはパートナーシップ担当営業していくとか、来年以降のインバウンドでタイのファンを獲得していくことについてはチケット担当と一緒に考え、どういう形でチケット販売をしようという議論もスタートできているのですごくいい機会でした。来年以降どうなるかはわからないですが、こういうツアーが行われるのであれば僕たちもまた参加したいです。

またクラブ独自の活動としては、Jリーグさんの協力もあり今回のタイ〜ベトナムのアジアツアーでどうにか収益を出すことができました。クラブとしてはなかなか海外にお金をかけられないですし、そういう意味でも今回出た数字は大きかったです。ぜひ次につなげていきたいですし、他のクラブの海外展開を引っ張っていけるような存在になっていきたいです」

大矢「Jリーグの海外事業担当としては、最終的にはヨーロッパのチームのようにクラブ独自でこういったツアーを積極的に行っていくべきだと思っています。またフロンターレがアジアでも先頭を切って、やり方次第でマネタイズできるんだよということを発信するのも重要だと思うので、そこはぜひ声を大にして発していただきたいなと。ここからさらに利益を拡大したり、他のクラブもついてくるような存在になってほしいです」
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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