連載:あのJリーガーはいま

ナビスコ優勝から幻の移籍話、アテネ五輪まで 大分で16年、高松大樹が語る激動のキャリア

栗原正夫
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08年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)では優勝に貢献しMVPを獲得 【(C)J.LEAGUE】

 長く大分トリニータでプレーし、“ミスター・トリニータ”の愛称で親しまれた高松大樹(41歳)。そのキャリアは浮き沈みも激しかったが、2008年のナビスコカップ制覇(現ルヴァンカップ)は最高の思い出の1つとして記憶されている。

 清水エスパルスとの決勝戦、高松が金崎夢生(大分トリニータ)の右クロスに高い打点のヘディングで合わせ、先制点を叩き込んだシーンを覚えているサッカーファンは多いはずだ。

 そのナビスコカップが、これまでに大分トリニータが獲得した唯一のビッグタイトルという点も、高松が“ミスター・トリニータ”と呼ばれる所以かもしれない。

「初タイトルで、しかも九州初。いま振り返っても最高でした。おそらく誰もトリニータが優勝するとは思っていなかったでしょうし、会場が東京の国立競技場だったこともあって僕はお客さんがどれだけ入るか心配していたんです。決勝なのに、スタンドがガラガラだったら寂しいじゃないですか。でも、蓋を開けたらスタンドの約半分を大分の青いサポーターが埋めてくれた。あの雰囲気は、いまも脳裏に焼き付いていますし、『負けては帰れない』と覚悟を決めたというか、絶対に勝つぞという気持ちになりましたね」

決勝ヘッドでMVP。賞金100万円をゲット

番組出演前に入念に資料をチェック。議員活動の合間には、メディア出演もこなす 【栗原正夫】

 当時のトリニータは、同大会のニューヒーロー賞に輝いた金崎や森重真人(現FC東京)、西川周作(現浦和レッズ、決勝はケガで出場できず)らが若手として台頭し、決勝では家長昭博(現川崎フロンターレ)や清武弘嗣(現セレッソ大阪)らもベンチで控えるなど、のちに日本代表に選出されるような多くの選手を揃えていたが、やはり決勝でいちばん大事なところを持っていくあたりは、高松は役者が違ったのだろう。

「あのシーズンはケガが多く、(リーグ戦も約半分は欠場するなど)ナビスコの予選リーグはほとんど出ていなかったし、決勝トーナメントに入って復帰した感じでした。それなのに決勝で、いいところを持っていってしまい……。チームメートからは『MVPの100万円で奢ってください!』とせがまれました(笑)。

 夢生や周作やモリゲ(森重)はまだ若かったですし、清武だって当時は知られた選手ではなかった。だから、誰が中心ということではなく、本当にチーム全員で勝ち取った優勝でした。それだけに余計に思い出深く、みんなで喜べたところはあったんだと思います」

 躍進のキッカケは05年9月にブラジル人のペリクレス・シャムスカ監督の就任だった。大分トリニータにとって過去最高のシーズンとなった08年はリーグ(J1)でも4位という結果を出したが、“シャムスカ旋風”とは何だったのか。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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