連載:プロ野球ドラフト史「全12球団“ヒット指名”ランキング」

会心のドラフト指名・ロッテ編 千葉移転後の選手が大半も1位はやはり…

岩国誠
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アンダースロー受難の時代にドラフト4位でプロ入りし、その有効性を自らの力で証明した渡辺。懐疑論もあるなかで指名したロッテの判断は正しかった 【写真は共同】

 各球団がこれまでにドラフト指名した選手の中で、一番の“ヒット”だったと言えるのは誰か。無名の選手や他球団の評価が低い選手の才能を見抜き、のちにチームに大きく貢献することになる金の卵を手に入れた「成功例」を識者に挙げてもらい、順位づけもお願いした。今回はロッテ編。育成の星や独立リーグ出身のパイオニアと呼べる選手たちもランクインした。

10位:藤田宗一(97年ドラフト3位/投手/西濃運輸)

 高校卒業後に入部した西濃運輸でリリーフとしての才能が開花したが、3年目に左肩を故障。復帰後、96年の日本選手権大会で敢闘賞を受賞する。翌97年、すでに25歳になっていた藤田をロッテが3位で指名。社会人7年目にして、プロ入りを果たすこととなった。

「勝負の1年目」から56試合に登板し、防御率2.17をマーク。3年目の00年にはリーグ最多の70試合に登板し、最多ホールド投手のタイトルを獲得。05年の日本一にも貢献した。長きに渡りロッテのブルペンを支え続けた「鉄人」は、全てリリーフでの通算600試合登板を達成した11年にソフトバンクで引退した。

8位タイ:岡田幸文(08年育成ドラフト6位/外野手/全足利クラブ)

育成指名での入団だったが、1年目の開幕直前に支配下登録に。ロッテに限らず、クラブチームからプロに入った選手では最も成功した1人だろう 【写真は共同】

 怪我で回り道を余儀なくされた男がつかんだジャパニーズ……いや、「幕張ドリーム」と言っていいのではないだろうか。

 肘の故障で日大を中退。完治した04年から地元栃木のクラブチームでプレーを再開し、その年に全日本クラブ選手権優勝。チーム在籍5年目の08年、ロッテから育成ドラフト6位指名を受けた。

 武器である俊足と堅守をアピールし、1年目に早くも支配下登録を勝ち取ると、チームが日本一まで駆け上がった10年に大ブレイク。「エリア66」とも言われたセンターでの堅守は、多くのプロ野球ファンを魅了し、2度のゴールデングラブ賞を獲得。自らのグラブで輝ける場所を掴み取り、「育成の星」となった。
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著者プロフィール

1973年3月26日生まれ。俳優志望に見切りをつけ、32歳でプロ野球を取り扱うスポーツ情報番組のADとしてテレビ業界入り。Webコンテンツ制作会社を経て、フリーランスに転身。それを機に、フリーライターとしての活動を始め、ロッテ、西武を取材。現在も映像ディレクターとwebライターの二刀流でNPBと独立リーグの取材を行っている。

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