連載:夏の甲子園を沸かせたあの球児はいま

くすぶり続けた立教大時代を経て完全復活へ 峯本匠が目指す「都市対抗10年連続出場」

上原伸一
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2019年4月に入社したJFE東日本で、中心選手として活躍する峯本。都市対抗10年連続出場と、いつか指導者になることが現在の目標だ 【上原伸一】

 大阪桐蔭で最後の夏に全国制覇を果たした峯本匠は、卒業後、東京六大学の立教大に進学する。しかし、チームの方針と考え方が合わず、また野球漬けだった高校時代の反動もあって練習にも身が入らず、プレー機会は激減してしまう。それでも、特大のポテンシャルを秘めた天才を、野球の神様は見捨てなかった。JFE東日本から声がかかると、社会人1年目にして完全復活を遂げるのだ。

一番近くにいるお客さんのような感じで……

 大阪桐蔭を卒業した峯本は、東京六大学の立教大(以下、立大)に進学する。入学時、立大野球部には2人の大阪桐蔭の先輩が在籍しており、それが決め手になったという。

「大学についてはあまり知識がありませんでした。2学年上には澤田圭佑さん(現オリックス)が、1学年上には笠松悠哉さん(現ヤマハ)がいまして、そういうところなら安心だと思ったんです」

 峯本の後も、1学年下の田中誠也、2学年下の三井健右(いずれも現大阪ガス)と、大阪桐蔭の選手が続いて立大の門をくぐった。

「神宮デビュー」は早かった。リーグ戦初ヒットはお預けになったものの、1年春から6試合に出場する。だがこの後、1年秋、2年春と出ていない。2年秋も出場は2試合にとどまった。

「チームの方針と自分の考え方が合わなかったんです。今思えば、僕がもっと“大人”になれば良かったんですが(苦笑)、“自分”を貫いてしまった。結果、受け入れてもらえず、なら、いいやと。それからは練習にも熱が入らなくなりました」

 一方で、野球漬けだった高校時代の反動も出てしまった。
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著者プロフィール

1962年、東京生まれ。外資系スポーツメーカーなどを経て、2001年からフリーランスのライターになる。野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の『週刊ベースボール』、『大学野球』、『高校野球マガジン』などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞『4years.』、『NumberWeb』、『ヤフーニュース個人』などに寄稿している。

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