「凱旋」とならなかった落胆のベトナム戦 試合後のスピーチで感じた吉田麻也の役割

宇都宮徹壱

ベトナム戦を「消化試合にしない」3つの理由

国旗を手にして埼玉スタジアムに集結したベトナムのサポーターたち。久々に体感する国際試合の雰囲気 【宇都宮徹壱】

 浦和美園駅を降りると、どこからともなくベトナム語のアクセントが聞こえてきて、赤地に黄色い星をあしらった国旗がそこかしこにあふれている。留学生や定住者もいるだろうが、技能実習生も多く含まれているはずだ。久々に国際試合の雰囲気に接して、何とも言えぬ高揚感がみなぎるのを感じる。

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 ワールドカップ(W杯)アジア最終予選のラストマッチとなる、埼玉スタジアム2002で3月29日に開催された日本vsベトナム。日本代表の森保一監督は、前日会見で「消化試合にしない」と明言している。すでに3月24日、7大会連続の本大会出場を果たしている日本代表。このベトナム戦を「消化試合にしない」理由は、おそらく3つあったと思われる。

 1つ目は、本大会の組み合わせ抽選会で、ポット2に滑り込むことである。先のオーストラリア戦の勝利により、日本はFIFA(国際サッカー連盟)ランキングで21位に浮上。本大会の組み合わせは、今月末に発表されるランキングに基づき、1から4のポットに振り分けられる。他の大陸予選の結果次第ではあるが、日本がベトナムに勝利してグループ首位となれば、わずかではあるが日本がポット2に入る可能性はあった。

 2つ目は、選手間の競争意識。予選突破が決まるまでは、スターティングメンバーをほぼ固定してきた森保監督だが、最終メンバー23名に向けた激しい競争は、まさにここから始まる。すでに前日会見では、メンバーを大幅に変えることを示唆しており、遠藤航と板倉滉もコンディションを考慮してチームから離脱。これまでベンチスタートが多かった選手たちは、このベトナム戦が格好のアピールの場となるはずだった。

 そして3つ目は、国民に「強い日本代表」を印象づけること。周知のとおり、日本代表のメディア露出は近年激減。予選突破を決めたオーストラリア戦も、地上波での放映はなかった。だからこそ、凱旋試合となるベトナム戦を代表人気復活の契機としたい──。それは、関係者の共通する思いだったはずだ。

23本のシュートで圧倒するもベトナムに逆転ならず

前半に先制を許した日本だったが、後半9分に吉田麻也がゴールを決めて追いついた 【Photo by Kenta Harada/Getty Images】

 日本のスターティングイレブンは以下のとおり。GK川島永嗣。DFは右から、山根視来、吉田麻也、谷口彰悟、中山雄太。中盤はアンカーに柴崎岳、インサイドに原口元気と旗手怜央、右に久保建英、左に三笘薫。そして1トップに上田綺世。前日会見での予告どおり、森保監督はオーストラリア戦から9人のメンバーを入れ替えてきた。メンバー固定に辟易していたファンには、非常に魅力的な顔ぶれに映ったことだろう。

 ところが先制したのは、グループ最下位のベトナム。前半19分、グエン・コン・フォンのCKに、ファーサイドからグエン・タイン・ビンがヘディングで叩きつける。弾道は川島のグローブをすり抜けて、そのままゴールイン。声出し応援が禁じられたスタンドに、大歓声と「ベトナム! ベトナム!」の大合唱が沸き起こる。彼らを黙らせるには、日本のゴールラッシュを期待するほかなかった。

 日本が同点に追いついたのは、エンドが替わった後半9分だった。左サイドの久保からのパスを受けた原口が、右足で放ったシュートはベトナムGKチャン・グエン・マインがブロック。しかしキャッチしきれず、こぼれたボールを吉田が執念で押し込んだ。この試合、日本が放ったシュートは実に23本(ベトナムは1本)。しかし、ゴールが認められたのはCBの吉田が執念で挙げた、この1点のみであった。

 日本のベンチワークは、いつになく素早かった。ハーフタイムでの伊東純也投入に続き(旗手と交代)、後半16分には一気に3枚替え。久保と原口と柴崎を下げて、南野拓実と守田英正と田中碧という「いつものメンバー」をピッチに送り出す。この交代の意図について、森保監督は「勝つためにカードを切りました」と明言。システムも4−3−3から、守田と田中を中盤の底に据えた4−2−3−1に変更する。

 その後も日本は、何度もチャンスを作り続けた。後半25分、上田のシュートが南野に当たり、こぼれたところを田中が左足で押し込む。誰もが「逆転!」と思ったが、南野の腕に当たっていたことがVARで確認されてノーゴール。後半42分には、田中のポストプレーから上田がボレーで合わせるも、今度は田中のポジションがオフサイドだった。アディショナルタイムの6分も虚しく過ぎてゆき、そのままタイムアップ。最終予選のラストゲームは、1-1の引き分けに終わった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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