森合正範著『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』

井上尚弥に“倒されなかった”田口良一の戦い 敗者にも異例のインタビュー「また井上君と…」

森合正範
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「みんな、井上と闘うなら今しかない。来年、再来年になったらもっと化け物になる」
2013年4月、井上尚弥のプロ3戦目の相手を務めた佐野友樹はそう叫んだ。

 それからわずか1年半、世界王座を計27度防衛し続けてきたアルゼンチンの英雄オマール・ナルバエスは、プロアマ通じて150戦目で初めてダウンを喫し2ラウンドで敗れた。「井上と私の間に大きな差を感じたんだよ……」。
2016年、井上戦を決意した元世界王者・河野公平の妻は「井上君だけはやめて!」と夫に懇願した。
WBSS決勝でフルラウンドの死闘の末に敗れたドネアは「次は勝てる」と言って臨んだ3年後の再戦で、2ラウンドKOされて散った。

 バンタム級とスーパーバンタム級で2階級4団体統一を果たし、2024年5月6日に東京ドームでルイス・ネリ戦を控えた「モンスター」の歩みを、拳を交えたボクサーたちが自らの人生を振り返りながら語る。第34回ミズノスポーツライター賞最優秀賞に輝いたスポーツノンフィクション『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』から2013年8月25日に開催された井上尚弥vs.田口良一の戦いを一部抜粋して公開します。

【写真:築田純/アフロスポーツ】

vs.田口良一(ワタナベジム)
2013年8月25日 神奈川・スカイアリーナ座間 10ラウンド 判定3-0
日本ライトフライ級王座獲得
井上の戦績 4戦全勝3KO



 フジテレビが午後7時からのゴールデンタイムで異例となる二元中継をすることになった。座間から田口-井上戦が放送され、続いて東京・有明コロシアムでのロンドン五輪金メダリスト村田諒太のプロデビュー戦を生中継する。村田の相手は田口と同門ワタナベジムの東洋太平洋ミドル級王者の柴田明雄だった。

 同日2興行の注目度は高く、試合の前々日となる8月23日には世界タイトルマッチ並みの記者会見が設定された。金屏風の前に柴田、村田、田口、井上が並ぶ華やかな舞台。これまで見たことのない報道陣の数だった。田口は明らかに緊張していた。話している最中に内容が飛び、言葉に詰まる場面もあった。

 前日計量では田口、井上ともにライトフライ級リミットの48.9キロでクリアした。

「多くの人が見てくれる。これぞボクシングという打ち合いをしたい。勝つイメージはできている」

 田口はそう、きっぱりと言った。

気持ちでは負けなかった

 試合会場の神奈川・スカイアリーナ座間に到着した。あのスパーリングから1年3ヵ月。普段の生活をしているときも頭の片隅にはいつも井上がいた。ついに試合で対峙するときがやってきた。前座が始まった。控え室から出て、場内を覗いた。思っていた以上に広く、多くの観客で埋め尽くされていた。気が引き締まる。

 開始のゴングが鳴った。

 井上が左ジャブを突いてきた。パンチもある。だが、動きが硬いのか、少し様子を見ているのか。間髪を容れずに距離を詰めて襲ってきた、あのスパーリングとは違う。田口は右のガードを高く上げ、ジャブを放つ。独特のノーモーションで見えづらいはずが、ぎりぎりの距離で躱された。そのシーンを目の当たりにし、セコンドの石原は思わず唸った。

 作戦通り、井上の左に合わせ、田口が左フックを打つ。手応えがあった。最後はロープ際で右ストレートを当てる。1ラウンドを終え、コーナーに戻った。

「いい感じだな」

 石原が穏やかな言葉遣いで言った。

「ジャブが当たっているじゃん。井上尚弥は怪物じゃないぞ。できる、できる!」
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