連載:プロ野球・好きな球場ランキング

グラウンドガールが見た川崎劇場の舞台裏 ベンチ裏が通行禁止になったきっかけは...

前田恵

2000年に解体される直前の川崎球場。現在は「富士通スタジアム川崎」として川崎フロンターレが管理。当時の照明塔や外野フェンスの一部が残されている 【写真は共同】

 学生時代の2年間、川崎球場でグラウンドガールのアルバイトをしていた縁で、時々川崎球場の思い出原稿を依頼されることがある。実のところ、私は記憶が非常に薄いタイプなのだ。私の実家の家族にまつわる古い思い出を、私が覚えていなくて夫が覚えているなんてことはザラである。はたまた、遠い記憶は都合よく(?)書き換えられていく。みなさんの周りのご年配衆も、話が妙に大きくなっていたり、辻褄が合わなくなっていたりしてはいないだろうか。あれは、みなさんをおちょくっているのではなく、本人にとっては美しき(そして現実の出来事と思っている)思い出なのである。前書きが長くなったが、そのあたりを踏まえてお読みいただきたい。
 

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初めて足を踏み入れたプロ本拠地球場の舞台裏

1988年、伝説の「10.19」の舞台だった川崎球場。優勝の可能性が消え、頭を抱える近鉄ナイン 【写真は共同】

 私が川崎球場に通い始めたのは1985年。当時、私は後楽園球場と神宮球場でしかプロ野球を観戦したことがなかった。川崎はなんとなく古くてショボい球場だな、とは思った。しかし、そのころはまだ他球場の内部はまったく見たことがなかったので、どこまで違うのか、知る余地もなかった。

 私たちの控室は、球場の三塁側にあった。三塁側ベンチ裏の小さな通用口から入ると、ブルペンとグラウンドの間のやや低い位置にある小部屋が、私たちの控室だった。横開きのドアをガラガラと開け、階段を2、3段下がると、土間がある。奥の2段ほど高いところに畳が数枚敷かれ、箪笥が置いてある。そこに私たちのユニフォームが入れられていた。昔の使用人部屋のような趣だった。

 私たちの待遇はともかく、「これはやはり、プロ野球の本拠地としてはいくらなんでもいかがなものか」と思ったのは、ビジターの若手選手たちがブルペン脇の通路で着替えをしているのを目撃したときだった。筋肉隆々の男たちが、スライディングパンツ一丁で談笑しながら着替えているのである。しっかり挨拶をしつつ、その真横を通らなければいけない、うら若き乙女の身にもなってほしい。時々「エッチ〜♡」とからかわれたが、今思えば選手たちも高校野球地方大会以下レベルの環境で、やるせなかったんだろうな。

クリアに聞こえる観客のヤジ

 阪急に入団したアニマル・レスリー投手が初めて川崎球場に来たとき、「ここはブルペンか?」と私に真顔で聞いてきた。明り取りもほとんどなくて薄暗く、黒土がなだらかな傾斜を作っている場所。海外経験0だった私には彼の「ブルペン」の発音が「ボールペン」と聞こえ、ボールペンを置き忘れたか、落としたのだと思い、キョロキョロ周囲を探した。「まさかここじゃないと思うけど、どこだろうね」と川崎のブルペンを皮肉ったジョークと捉えてもらって……はいないか。まあ、聞き返して「ブルペン」と分かり、「(ここで試合のほとんどを過ごさなきゃいけないクロ―ザーのあなたには気の毒だけれども)イエス」と答えたのだった。

 ちなみにブルペンからグラウンドに向かう出入り口の横に、4段ほどの階段状になった木のベンチがあって、ブルペンで投げない投手は試合を見ながらそこで待機していた。私も授業をサボって早めに球場入りし、ここで試合前練習を見るのが好きだった。

 球場が狭ければ、ファウルグラウンドも狭い。もちろんスタンドも狭い。一塁側に飛んだファウルボールは、選手・関係者の駐車場を直撃する。だからベテラン選手ほど、ボールの直撃を避けられる位置に車を止めていた。

 先日、ある雑誌の取材で元ロッテの高澤秀昭さんと話す機会があった。「あんなにファウルグラウンドが狭いところにグラブも持たずに女の子がいて、危なくないのかなと心配だった」という。私たちは試合中、ベンチのホームベース寄りにあるバットケースの前に陣取っていた。すぐ隣に必ずコーチが立っているし、ベンチのみなさんが声で知らせてくれたので、ほとんど危険を感じたことはなかった。むしろ、ファウルボールを捕りに一直線で向かってくるキャッチャーのほうが、ヘタに妨害できないぶん恐怖である。一度だけ足に当たったときは、打球がスローモーションでだんだん大きくなりながら近づいてくるのが分かったが、逃げられなかった。

 しかし、これだけファウルグラウンドが狭いと、スタンドと選手の距離は近すぎるほど近い。ベンチにいても、ヤジがしっかり聞こえてくる。選手もコーチもそのたびに笑ったり、苦笑したり、いろいろだった。外野スタンドのヤジも、よく外野手の背中に突き刺さっていたらしい。今の球場のようにファンの大声援も音響効果も何もないから、レフト側スタンドのすぐ向こうにある競輪場の打鐘(ジャン)の音が始終聞こえていた。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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