グラウンドガールが見た川崎劇場の舞台裏 ベンチ裏が通行禁止になったきっかけは...
今の時代では味わえない最高の臨場感
1985年当時のロッテ・落合博満。三冠王のバッティングが間近で見られた 【写真は共同】
三塁側の女子トイレは、ビジター側の選手のトイレの隣で、よく選手の声が響いていた。もちろんスタッフ用のトイレなどなく、たまに珍しく女性ファンが多いとすぐに列ができ、5回裏のグラウンド整備の間には、トイレから戻れなかった。私たちの控室からこのトイレに行くには、本来三塁側のベンチ裏の通路を直進するのが近道である。先ほど説明したブルペン横の扉からだと、いちいち球場外に出て、正面入り口から球場内に入り直さなければならない。特に雨の日など、面倒だった。もともとはベンチ裏の通路を直進できたそうだが、パ・リーグの某大投手が風呂場とロッカールームの間を素っ裸で闊歩したところに私の先輩が直面したらしく、以来、通行禁止となったらしい。せめてバスタオル一枚、巻いていてくれれば……。
私がいた2年間は、ちょうど稲尾和久監督の2年目、3年目。落合博満選手が2年連続三冠王を獲った年である。投手力は弱かったが、いいチームだったと思う。阪急・山田久志投手など好投手と落合選手との対決のときは、球場が一瞬静まり返った。落合選手のバットが体に巻き付くようにしなり、はじき返された打球がスタンドへ一直線に飛んでいく。そんなシーンを何度見たことか。
「マサカリ投法」の村田兆治投手がトミー・ジョン手術から復活し、カムバック賞を受賞したのも85年。あのフォークの軌道も素晴らしかった。女房役・袴田英利捕手が左右の抜け球はしっかり捕るのに、なぜど真ん中の投球はあんなに後ろに逸らすんだろう、と不思議に思っていた。村田投手が「ノーサインでフォークを投げていた」とつい最近知り、合点がいった。
あまりにお客さんの数が少なかったある日、ベンチで高畠コーチと誰かが、外野の人数を数えていたことがある。私も数えた。25人だった。漫画『がんばれ!!タブチくん!!』に同じようなシーンがあった。タブチくんが閑古鳥の鳴く西武球場の外野の観客数を数えていて、席を立とうとしたお客さんが、タブチくんに「動くな、○ゲ!」と怒鳴られてしまうのである。
今思えば本当に、漫画のような球場だった。だが、漫画のヒーローのような猛者たちもパ・リーグにはたくさんいて、カッコよかった。
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