壮大だった水島新司氏の構成力と実行力 数多く現実になった構想、残る夢は…

オグマナオト

まるで最終回のような『ドカベン』31巻

当初は柔道漫画として始まったドカベン。山田、岩鬼らが高2で迎えたセンバツ決勝では彼らの秘話なども明かされている 【写真提供:オグマナオト】

 野球漫画の巨匠、水島新司氏(以下敬称略)の訃報が伝えられて以降、SNSでは作品にまつわる思い出ツイートであふれている。なかでも多いのは、やはり『ドカベン』評だ。“悪球打ち”岩鬼正美、“秘打男”殿馬一人、“小さな巨人”里中智、“ドカベン”山田太郎……。彼ら「明訓四天王」の活躍ぶりは「チームスポーツ」である野球の魅力を存分に教えてくれるものだった。

 そんな「明訓四天王」好きにぜひとも読んでいただきたいのが『ドカベン』31巻。高校2年春のセンバツ、宿命のライバルである土佐丸高校との決勝戦が収められた一冊だ。

 この巻では、「なぜ岩鬼は悪球打ちになったのか」「里中がアンダースローになった理由」など、四天王それぞれのバックボーンが回想シーンとともに紹介され、その上でセンバツ優勝旗をつかむ過程が描かれていく。まるで最終回のように濃密に練られた構成力に、きっとうなるはずだ。

 その回想シーンでも登場するのが、山田太郎と岩鬼正美の中学柔道部時代。今回の訃報を受けての思い出語りでもよく見かけたのは、「ドカベンって最初は柔道漫画だったよね」という声だ。「名作『ドカベン』でも迷走時代があった」という意図でつぶやかれたものが多かった印象だが、実はこの「ドカベン中学柔道部編」、用意周到に練られたものだった。

柔道から始まった『ドカベン』

 水島が秋田書店から「甲子園を舞台にした野球漫画を描いて欲しい」と依頼を受けたのは、小学館『週刊少年サンデー』で『男どアホウ甲子園』を連載していたときのこと。同じ週刊少年誌での“裏かぶり”対策としてあえて柔道部編を描いたことを、後年、水島自身が語っている。

《どちらも週刊誌だし、同じ高校野球漫画を描けば、必ずどちらかに思い入れが強くなるからと、断ったんです。一年待ってくれれば『男どアホウ』が終わるから、それから始めたい、と。でも、どうしてもやって欲しいということで、スタートしたのが『ドカベン』なんです。ですから、『ドカベン』の初めの一年は野球ではなく柔道漫画になっていて、しかも中学三年生という設定です》
(『月刊本の窓』1995年5月号、水島新司インタビューより)

 水島野球漫画の主人公たちが夏の甲子園で対決する代表作『大甲子園』も単なる思いつきではなく、野球漫画を描き始めたときから構想を温めたもの。この「壮大な構成力」と強引にでも実現させる「実行力」こそ、水島漫画の魅力を生み出す大きな要素だった。

《ひとつ計算してやったのは、いろんな出版社に描いている高校野球漫画の、高校3年の夏だけは全部残したこと。(中略)この連中を一堂に会させて、夏の大会を描きたかったから。(中略)ただし『一球さん』、『球道くん』、『ドカベン』。出版社がまたがってる。ぼくは『ドカベン』でやりたいわけだから、秋田書店で『大甲子園』をやった。その話を持っていって果たしてOKしてくれるかどうかは不安だった。でも幸い、すんなり OKしてくれましたがね。マンガ界では画期的なことだった》(伊集院光著『球漫』より、水島新司の言葉)

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著者プロフィール

昭和52年、福島県生まれ。『ざっくり甲子園100年100ネタ』や『大人も知らない! ? スポーツの実は…』、『スポーツ伝説超百科』シリーズ、『Leo the footballのしゃべくりサッカー部』シリーズなど、スポーツ書籍の執筆や構成を務める。また、『週プレ』『昭和40年男』『野球太郎』等の雑誌での記事執筆やインタビュー、テレビ朝日『報道ステーション・スポーツコーナー』やニッポン放送『スポーツ伝説』などテレビ・ラジオ・YouTubeのスポーツ番組での構成作家も担当。水島新司漫画研究家としてもメディア出演多数。

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