箱根駅伝の歴史を築いた「名将の系譜」最も多くの監督を輩出している大学は?

折山淑美
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 2022年で98回目となる箱根駅伝。栄枯盛衰の大学駅伝界において、箱根駅伝に出場し続けることは並大抵のことではない。さらに、近年はチームの強化に力を入れ、箱根への出場を狙う大学が増えたこともあって、限られた席の奪い合いは一層激しさを増している。そこで、本稿では平成以降にチームを箱根に導いた監督に焦点を当て、そのキャリアを調査。そこから見えてきた「名将の系譜」を紹介する。

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箱根に導く“日体大メソッド”

98年から神奈川大で指揮を執っている大後栄治監督(左端) 【写真は共同】

 平成に入ってから来年で33回目の大会となる第98回箱根駅伝。その間に出場した大学数は次の箱根も含めると計31校で、監督として登録された者は計94名(※)。その監督の出身大学を調べると、最多は日本体育大で14名。それに続くのが13名の日本大で、以下、9名の中央大、7名の順天堂大、6名の早稲田大と国士館大となる。

※陸上部として歴史を持つ大学は陸上部全体の監督として登録され、長距離の指導はコーチが行う形式も多い

 伝統校は自校出身のOBが監督に就任しているケースが多く、これまでの箱根で得たデータを積み上げ、それを有効に活用しながら強さを持続している。平成以降の監督の出身大学として最多の日本体育大と次点の日本大もこのケースに当てはまる。近年は不祥事や不振の影響で監督交代が多くなったこともあるが、注目すべき点は他校の監督に就任して、その大学を箱根まで導いている監督も多いこと。日本体育大は7名で日本大は6名いる。

 日本体育大出身の監督の中で特に結果を出しているのが、1989年に神奈川大で指導を始め、98年から監督に就任している大後栄治だ。大後が日本体育大に入学したのは83年。箱根5連覇(69年〜73年)を果たした後の黄金時代だったが、監督・コーチが不在で、学生主体でチームを運営していた。大後は2年時からマネージャーとしてチームの運営に携わったが、在学時の箱根は2位が最高で、優勝はできなかった。

 そんな大後が神奈川大の指導に携わるようになってから役に立ったのは、優勝9回などの実績を残す中で毎年蓄積してきた、日本体育大の箱根に関する詳細かつ膨大なデータだったという。各区間のポイントごとの通過タイムも毎年しっかりと記録、整理されていた。指導者を目指して日本体育大大学院に進み、修了後に指導するようになった神奈川大では、それを存分に活用。神奈川大を2度の優勝に導き、箱根常連校と呼ばれるまでに育て上げた。
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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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