連載:憲剛と語る川崎フロンターレ

中村憲剛×小林悠×登里享平×大島僚太【後編】 J1優勝で引退を肯定【憲剛と語る川崎フロンターレ05】

原田大輔

再びJ1で連覇したフロンターレが目指すのは?

中村憲剛氏は直接、現役引退を告げた後輩でもある小林悠、登里享平、大島僚太と今回、話をして、しっかりとメッセージを受け取ってくれていることを実感。彼ら自身の成長を楽しみにしていると伝えた 【佐野美樹】

憲剛 3人には引退するときも直接、話をさせてもらいましたけど、俺からの最後の負荷でもあったんです。今までも自分の足でしっかりと立っていたと思うんだけど、俺がいなくなったことで、嫌でも周りはそう捉えるし、みんなに目が注がれることになる。その負荷に耐えて、みんなが成長してくれたことが、何よりうれしかった。そういう意味でも今日は、1年前に直接送ったメッセージの答えを聞きにきたんだよ。今シーズン、自分たちの力でJ1のタイトルをつかんだ意味をどう捉えているのかなと。

大島「フロンターレは戦力が抜けていないからタイトルを獲ることができている」という意見に対して、自分自身は憤りを感じていたんですよね。だから、誰もが分かるような存在が抜けてしまった今シーズン、その穴を全員でカバーして、チームとしてタイトルが獲れたことに意味があると思っています。もちろん、これを今だけでなく、継続していかなければいけないんですけどね。

登里 僕はいまだに「憲剛ロス」なんですけど(笑)、憲剛さんがいなくなって、自分なりにプレーや行動で示そうとしてきました。先ほど憲剛さんが、自分の引退を肯定してくれたと言ってくれましたけど、僕らにとっても憲剛さんがいないなかで優勝できたことは、今までにない自信になると思っています。そのなかで、憲剛さんから受け継いできたことを次の世代に伝えていくことも、自分の役目だと思っています。地域貢献活動も含めて、今後も積極的にファン・サポーターと触れ合っていくことがフロンターレの魅力であり、色として継続していきたいですね。

小林 昨年、憲剛さんと(谷口)彰悟と歴代キャプテンで鼎談したことがありましたよね。そのとき憲剛さんは、自分がキャプテンだったときは「負けた試合のあとに絶対に下を向かなかった」「負けたときこそ先頭を歩いていた」って言っていたんです。そのあと、自分の行動を振り返ってみると、自分は下を向いていたこともあったなと反省したんです。

 それもあって今シーズン、アビスパ福岡(J1第26節)に負けて3戦未勝利になったとき、考えたんですよね。憲剛さんなら、今の僕に何て言葉を掛けるかなって。それくらい次の北海道コンサドーレ札幌戦(J1第27節)は自分にプレッシャーをかけていた。それで、その試合に先発することが分かったときには、「ここで崩れてはダメだ」「自分がなんとかしなければ」って思ったんです。正直、過密日程すぎて、今シーズンの試合のことはあまり覚えていないのですが、あの試合のことだけは鮮明に覚えているんです。試合前から、絶対に自分がゴールを決めて、絶対に自分がヒーローインタビューを受けて、そこで絶対に「フロンターレは死んでいない」という言葉を言おうと決めていた。

 それもこれも、きっと憲剛さんなら「お前がこの状況を打開しろ」って言うんじゃないかなって考えていたからなんですよね。僚太が技術や戦術、ノボリが地域貢献活動やコーチングを憲剛さんからのメッセージとして受け取っていたとしたら、僕が憲剛さんから受け取ったのは、勝負にこだわる姿勢、メンタル担当ですからね(笑)。札幌戦で本当に点が取れて、その言葉を言って、あそこでチームが崩れなかったことが今年、一番成長できたところかなと思っています。

登里 コバくんのあのゴールとあの言葉には、本当に奮い立たされましたからね。あのゴールがなかったら、息を吹き返していなかったかもしれない。

憲剛 個人的にも価値のあるゴールだと感じたから、思わず試合中にもかかわらず、悠にLINEを送ってしまったんですけどね(笑)。

――憲剛さんからのメッセージはみんなにしっかりと届いていたみたいですね。

憲剛 アンサーを聞けたのでうれしいですね。

――憲剛さんは、メッセージをしっかりと受け取った彼らが、今度はそれぞれどのように成長していくかも楽しみではないですか?

登里 だからこそ、このタイミングで映画を見たことがモチベーションになっているんです。

憲剛 さすがノボリ。その言葉で映画についての鼎談だったことを思い出したわ(笑)。みんなには、ここからさらに自分たち自身で自分たちのステージを上げていってほしい。今シーズン、J1で優勝したことで、いろいろなことから解放されたわけじゃないですか。そういう意味でも4度のJ1優勝の中で今年の優勝が一番、価値があると俺は思っています。これからもチームのことは考えていくだろうけど、同時に自分が成長することにも目を向けてほしいなと。それに……。

大島 最初にJ1で連覇したときも3連覇を目指して戦いましたけど、結局、達成できなかったですからね。今年、再び連覇したことで来シーズンはまた3連覇を目指すことができる。きっと、今回の方が大変なんだろうなとは思いますけど、憲剛さんが言ってくれたように、自分たちの成長なくして3連覇はないと思うので、そこに目を向けていきたいと思います。

――中村憲剛も達成したことのないリーグ3連覇ですからね。

小林 そうなったら“憲剛超え”ですね(笑)。

憲剛 俺も見たことのない世界を見せてもらえることを楽しみにしているよ。

登里 “憲剛超え”したら、次はコバくんと僚太と僕の3人で映画を作ってもらいましょう。

小林 タイトルは“憲剛超え”で(笑)。

憲剛 おい!(笑)でも、本当にこれからの3人には期待してます。今日はありがとう‼️

左から大島僚太、小林悠、中村憲剛氏、登里享平 【佐野美樹】

中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。都立久留米高(現・東京都立東久留米総合高)、中央大を経て2003年に川崎フロンターレ加入。中心選手として17年、18年、20年のJ1リーグ優勝など数々のタイトル獲得に貢献。16年には歴代最年長の36歳で年間最優秀選手賞に輝く。20年限りで現役引退し、現在は育成年代の指導や、川崎フロンターレでFrontale Relations Organizer(FRO)を務めるとともに、解説者などでも活躍中。6月には現役最後の5年間について綴った『ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録』(KADOKAWA刊)を上梓。

小林悠(こばやし・ゆう)
川崎フロンターレ/FW/背番号11。1987年9月23日生まれ。東京都町田市出身。拓殖大学を卒業後、2010年に川崎フロンターレに加入。チームがJ1で初優勝した17年にはJ1で23得点を決めて、得点王に輝くと、J1年間最優秀選手賞に選ばれる。その17年から3年間、キャプテンとしてもチームをけん引し、谷口彰悟へと受け継いだ。J1連覇を達成した今シーズンは途中出場が多かったものの6年連続での2桁得点をマークしている。21年で川崎フロンターレ在籍12年目を迎えた。

登里享平(のぼりざと・きょうへい)
川崎フロンターレ/DF/背番号2。1990年11月13日生まれ。大阪府東大阪市出身。香川西高校を卒業後、2009年に川崎フロンターレに加入。当初はMFだったが、左サイドバックとして出場機会を増やすと、チームがJ1で初優勝した17年には主力として活躍。攻撃参加だけでなく、的確なコーチングでチームメートを動かし、チームの頭脳としてもJ1連覇に貢献している。ピッチ外ではプロデューサーとして知られ、チームのイベントなどでも大きな存在感を発揮。21年で川崎フロンターレ在籍13年目を迎えた。

大島僚太(おおしま・りょうた)
川崎フロンターレ/MF/背番号10。1993年1月23日生まれ。静岡県静岡市出身。静岡学園を卒業後、2011年に川崎フロンターレに加入。プロ1年目から出場機会を得ると、中村憲剛のアドバイスを受けて司令塔として台頭。17年、18年のJ1優勝を含め、昨季はケガで離脱していた中村憲剛の不在を感じさせない存在感でJ1優勝に貢献。今季はケガにより出場機会を得られなかったが、ピッチに立てば技術の高いプレーで巧みなゲームコントロールを見せた。21年で川崎フロンターレ在籍11年目を迎えた。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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