中村憲剛と常田真太郎、15年の月日が生み出した特別な一曲【憲剛と語る川崎フロンターレ03】

川崎フロンターレ
チーム・協会

【© KAWASAKI FRONTALE】

『One Four Kengo The Movie〜憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語〜』の公開を記念した対談企画。第3回は本映画の主題歌である『天才の種』を制作したスキマスイッチの常田真太郎氏。

2005年に偶然の出会いからスタートした両者の関係は、長い月日を経て、想像を超えるほど深く密接になっていく。親友、よき相談相手、そしてライバル――。2020年末の引退セレモニー時には、SHISHAMOとのコラボレーションで中村憲剛に捧げる曲を制作し、それが映画の主題歌にもなった。

「しんたさんだから作れた」と憲剛が振り返る楽曲には、果たしていかなる想いが込められていたのか。映画の制作にも大きな影響を与えた楽曲の制作秘話と、二人の知られざるエピソードを紐解いていく。

妻と同じレベルで相談できたのは、しんたさんだけ

2006年3月に撮影されたワンカット。若き日の憲剛とアフロヘアーだった常田氏のビジュアルが印象的。この出会いが二人の人生を変えた 【© KAWASAKI FRONTALE】

――中村憲剛さんと川崎フロンターレの歩みをベースにした映画が公開されました。まずは常田さんのご覧になられた感想から聞かせてください。

常田 細かい部分だけど、まずインタビューに答える谷口彰悟選手選手の姿勢が背筋がピーンと立ってて、すごくいいことかな(笑)。

憲剛 確かに(笑)。育ちの良さがめっちゃ出てましたね。というかそこですか?(笑)

常田 憲剛の映画に関するインタビューという意味をちゃんと分かって話しているのが雰囲気からも伝わってきたよね。映画全体の感想としては正直、“身内”として恥ずかしかった。ずっと憲剛なんだもん(笑)。でも、現役引退のタイミングで映画を作ってもらえるような人生を送ってきて、周りも憲剛の価値を分かってくれているのは素晴らしいと思う。で、本音を言うと……そりゃ悔しいですよ。あれだけ盛大に引退セレモニーをやって、映画にもなって。

憲剛 結局、そこに行き着く(笑)。でも、それはお互いさまですよ。スキマスイッチの曲に力をもらったり、ライブで楽しませてもらった一方で、僕も常に悔しい思いをしてましたから。あれだけのファンの方たちの注目を集めて、笑顔にさせて。サッカーはピッチに22人いますけど、スキマスイッチは2人だけじゃないですか。ライブに行った時のファンの方たちとの一体感はいちファンとしてはもう最高なんですけど、ホールから出て行くファンの方たちの高揚感や幸せそうな表情を見ると、プレーヤーとして同時にとても悔しくて(笑)。こんなにファンの方たちを笑顔に幸せにできてかっこいいな、すごいなと思いつつも「絶対負けたくない!」と思って刺激を受けていました。だから僕も応援してくれる人たちを笑顔にしたいってずっと思ってきたんです。

常田 あと、周りに有無を言わさない形で引退するところも憲剛らしいと思ったね。「何年も前から考えていました」って言われたら何も言えないし、止める気にもならなかった。そういうところはすごく憲剛らしく、すごくズルいなと(笑)。ピッチ上では勝利やゴールから逆算したプレーをして、サッカー人生は引退からの逆算。でも、それができるだけの選手だったってことだからね。

憲剛 そこには神様がいると思ってます。

常田 俺はむしろ(自分で自分を信じている)“憲剛様“だと思ってるけど(笑)。でも、出会ってから本当に長くなったね。

憲剛 2005年でしたからね。音楽関係の仕事をしていた僕の親戚から紹介してもらって。

常田 今でも鮮明に覚えてるよ。その親戚の方から「中村憲剛って言うんですけど、ご存知ですか?」って聞かれて「知ってるぅぅぅ!」って。すぐに電話をつないでもらって。

憲剛 いやいや、こっちは「スキマスイッチィィィ!?!?!?」って感じですよ。しんたさんと出会う前から『全力少年』が大好きで、いつも試合前に聴いてましたから。その電話、あまりに緊張しすぎたのか、居間で受話器を持ちながら立ち上がって、その場でくるくる回りながら話した記憶があります(笑)。

常田 それで2日後くらいに食事に行ったんだよね。

憲剛 ガチガチでしたよ。当時はJ1に上がったばかりで有名人の知り合いなんて誰もいないし。

常田 俺もJリーガーとごはんを食べにいったのは初めてだった。

憲剛 で、そのまま家に遊びに行って、サッカーゲームで盛り上がって。しんたさん、ヨーロッパサッカーの好きさ加減がサッカー選手の比じゃないんですよ(笑)。僕も大好きだったので、そういう部分でも意気投合して。

常田 めぐり合わせだよね。あの出会いが今につながっているんだから不思議なもので。

憲剛 僕にとってはミュージシャンの友達は初めて……というか他にほとんどいないんですけど、しんたさんは選手との交友関係がめちゃくちゃ広がってるじゃないですか。リアルに嫉妬したこともありますからね(苦笑)。

常田 確かに一番連絡を取るのは憲剛じゃないなー、なんてね(笑)。そこはほら、もう身内みたいなもんだから。

――憲剛さんは「いつも試合前に『全力少年』を聴いていた」とのことですが、サッカー選手が音楽からパワーをもらうという話をよく耳にします。

常田 スタジアムでバスから降りてくるときにヘッドホンをしている選手が多いじゃん。あれ、みんな音楽を聴いてるの?

憲剛 スタジアム入りのバスの中では100パーセントと言ってもいいくらい聴いてますね。集中して気持ちが高まっていくんですよ。ただ、スタジアム到着がキックオフの90分前くらいなので、自分としてはちょっとタイミングが早いんですよね。

常田 早く仕上がりすぎちゃうのか。

憲剛 そうなんです。だからロッカールームに入ってからウォーミングアップまでの間にイヤホンで聴くようにしてました。日本代表だと(田中マルクス)闘莉王がロッカールームでそのまま音楽を流してましたけど(笑)、フロンターレはそれぞれで自分の世界に入っていく感じですね。

常田 何曲くらい聴くの?

憲剛 そんなに時間がないので、2、3曲くらいですかね。ヒット曲だけじゃなくて、その時の自分の気持ちに引っかかる曲で“勝負曲フォルダ”を作っていて、ミスチルとスキマスイッチは常に入ってました。あと当時、大塚愛さんの『さくらんぼ』にどハマりしていた時期があって、ずっとリピート。テンション上がるんですよね(笑)。

常田 「もう一回!」だもんね(笑)

憲剛 そうそう(笑)。それでどこかの試合前に行きのバスの中で爆音で聞いてたら、後ろから森ちゃん(森勇介)にトントンって叩かれて小さい声で「憲剛、漏れてるぞ」って……。相当漏れてたんでしょうね。あれはめちゃくちゃ恥ずかしかったです。「顔から火が吹く」とはまさにあのことで(笑)。

――自分にとって一番の勝負曲は?

憲剛 時代によって入れ替わりましたけど、『全力少年』みたいにリズムやテンポが良くて、テンションが上がっていく曲が好きでした。デビュー当時から唯一変わらなかったのが『全力少年』ですね。

常田 それはうれしいね。

憲剛 自分のキャリアにずっとスキマスイッチがあったから、現役生活の最後に『天才の種』を作ってもらってエンディングを迎えることができたのは、本当に感慨深いんです。それが映画の主題歌にもなって。2005年の出会いから15年、本当にありがたい限りです。怒られたことも正されたこともいっぱいあるし、妻と同じレベルで相談できたのは、唯一しんたさんだけ。それが自分にとって、どれだけ貴重な存在か。

常田 正直、鬱陶しいでしょ。小言がうるさいなって(笑)。

憲剛 いやいや、それはないです。人生の先輩、業界の先輩だし、そこは絶対ですから。それにサッカーを自分とは違う角度で見られるところも信頼できる。現役選手以外でこういったサッカーの見方ができる人ってなかなかいないですからね。

常田 憲剛に教えてもらったところも多いし、僕はある意味、あなたの作品みたいなものですから。

憲剛 相談相手であり、友人であり、ライバルであり。ずっと引っ張られてきて、逆に引きずりたくて、負けたくない。一緒ですよ。悔しいときは悔しいし、「スキマスイッチ、すげえな」ってずっと思ってきましたから。

――憲剛さんは音楽からパワーをもらった一方、常田さんも選手からインスピレーションを受けることが多かったと聞きました。

常田 自分とは完全に違う景色を見ている人たちだから、アスリートの心境を描くような作品を作るときは、真っ先に憲剛と柔道家のヒロ(野村忠宏)さんや鈴木桂治くんにヒアリングしてました。それを自分なりに解釈して歌詞に落とし込んだりとか。もともとスキマスイッチとしても曲を作るときにリサーチをすることが多かったんですよね。どうしても自分だけじゃ見えない世界があるから、それこそ『天才の種』は憲剛へのリサーチをベースに作った曲です。憲剛の曲なので当たり前ですけど(笑)。

――自分の作品がアスリートのパワーになって、良いパフォーマンスにつながるというサイクルもあるかと思います。

常田 うれしいんですけど、そこはにわかには信じがたいところもあるんですよ。必ずしもそういう想いで作ったわけではないので。自分としては自惚れないためにも結果論だと思っています。

憲剛 受け取り方は人それぞれだと思います。なのでアスリート以外でも力をもらっている人は多いと思いますよ。

常田 確かに『全力少年』も子供を持つお父さん世代に届いたらしいんだよね。しっかり芯を通した作品は、いろいろな形で意訳してもらえるんだなって。

憲剛 そう思います。楽曲に会うタイミングは人それぞれだし、その時の背景も人それぞれなので、受け取り方もさまざまですよね。

常田 受け取ってもらえたらうれしいって気持ちはもちろんあるけどね。ちなみに聴いてくれる人を応援したいという想いを今までで一番込めたのが、先日リリースした『OverDriver』という曲。あれだけ明確に応援したのは初めて。自分が作る応援歌の原点は、それこそ自分がいじめられた記憶にあってさ。涙を止めてもらえたことがある人は、誰かの涙を止めることができるはずだって。頑張れなくなってる自分に手を差し伸べてくれた人は、こんなことを思ってくれてたのかなって考えながら作った。

憲剛 応援歌としても素晴らしいですけど、作品自体が信念の塊だから受け取る側の感性でいろいろ変わりそう。もしかしたら『全力少年』と一緒で、聴いた側が違うメッセージを受け取るかもしれないですね。

常田 そこは作品としてどう受け取ってもらえるかだからね。そう考えると、アスリートって結果や評価が数字で出ちゃうから直接的で残酷だよね。

憲剛 だからこそ音楽を聴くんですよ。音楽を聴いて、自分を高めて、いい結果が出るように少しでも持っていきたい。だから音楽の力がメンタルに与える影響は大きいですよ。

映画の主題歌に使ってもらえたのはうれしい。作り手冥利に尽きる

『天才の種』のレコーディングデータを見ながら制作当時を振り返る常田氏。数々の偶然と縁が重なり合って、歴史を紡ぐ名曲が生まれた 【© KAWASAKI FRONTALE】

――先ほども話に出ましたが、憲剛さんの引退に際してSHISHAMOとコラボして作った『天才の種』が映画の主題歌にもなりました。その制作背景を教えてもらえますか?

常田 スタジアムで偶然会ったクラブスタッフの天野(春果)さんに「頼みたいことがある」って言われたんです。その場では詳しく教えてくれなかったんですけど、憲剛から引退の意向を聞いた数日後に電話がかかってきて、「憲剛に向けた曲を作れる?」って。最初は写真を使ったインストゥルメンタルを考えたんだけど、絶対に歌にしたほうがメッセージを届けられると思ってSHISHAMOとのコラボを提案したんです。それが出発点ですね。

憲剛 どうやって作っていったんですか?

常田 曲を作るにあたって(宮崎)朝子ちゃんから頼まれたのは、「歌詞はしんたさんが書いてください。私よりも絶対込められるものが多いと思うので」って。そこで交換という意味で「コード進行や伴奏は俺が作るから、メロディーを(宮崎)朝子ちゃんにお願いしたい」って話になった。

憲剛 あの印象的なイントロも先に作って渡したんですか?

常田 イントロは天野さんに相談されてすぐに作ったよ。

憲剛 すごい! いつも思うんですけど、ミュージシャンの方たち、何でゼロからこれが出てくるの?

常田 そこはほら、俺も『天才の種』を持ってるからさ(笑)。

憲剛 なるほど、そう来たか(笑)。

常田 というか、ああいうピアノのフレーズは普段から好きで、よく弾いてるんだよね。映画ではオープニングのインストゥルメンタルも担当させてもらってさ。一つだけ個人的に映画で心残りがあるとしたら、音楽の部分でもう少し関わりたかったかな。映画の音楽を担当された方もすごく良かったけど、ちょうどニューアルバム(11月24日に『Hot Milk』と『Bitter Coffee』が2枚同時発売)の制作時期と丸かぶりになっちゃって……。

憲剛 でも、ニューアルバムも楽しみですから。さっき話していた『OverDriver』も入っていますしね。オープニング曲を弾いてくれていたのは気づきましたよ。

常田 それにしても朝子ちゃん、本当にとんでもない才能を持っていると思うよ。たぶんものすごく過小評価されてると思う。

憲剛 しんたさんが言うなら、本当にそうなんでしょうね。天才×天才の組み合わせだ。そういえば当時、歌詞を書いてもらうために1時間くらい電話しましたよね。

常田 歌詞を憲剛目線に決めて、今まで考えてきたことをヒアリングしながら印象的な言葉を全部メモしたんだよ。さっきも話したとおり、そこはリサーチが重要だからさ。

憲剛 幼少期の話から、フロンターレに入ってからプロとして大事にしてきたこと、信念を持ってやってきたことを話しました記憶があります。とにかくフロンターレを強くしたいけど、なかなかタイトルが取れなくて、それでも自分たちの取り組みが間違っていないって信じていたことも。

常田 その信念は強く反映したよ。あとは自分の感覚としてうまくいっていたのかどうかと、周りが「憲剛さん、すごい!」って言ってくれる中で、憲剛自身が本当はどう思っていたのか。

憲剛 何もすごいとは思ってないですね。

常田 そうなんだよね。そのあたりが根幹かなと思って。しかも何かを一所懸命に続けてきたけど、そこへのストレスもあまり感じてないみたいだったし。

憲剛 むしろ自分にはそれしかできないと思ってましたから。

常田 それが才能なんだよ。その「続ける」という才能が何に変わったのか。よくあるパターンとしては「花が咲きました」って表現になるんだけど、フロンターレや憲剛の存在はみんなのものになっているから、自分たちの花が咲いた感じじゃないって思って。もちろん花も咲いたんだろうけど、自分が気づかないところでとんでもなく大きなものになってた。その感じがまさに「樹」とか「景色」になっていて、そのあたりを根幹に組み立てた。映画の中で(大島)僚太選手が「憲剛さんが強く太くした幹を、僕ら選手たちは引き継がなければいけない。それをさらに太くするくらいのつもりで背負う覚悟がないと、あっという間に崩れてしまう」ってコメントが印象的で。

憲剛 言ってましたね。そこが僚太にちゃんと伝わってて、しっかりと自分の言葉で話してくれたのはうれしかった。『天才の種』も聴いてくれてるだろうし、映画の制作意図も分かってくれてたんだろうなって。

常田 それはそうかもしれないね。あと、歌詞を書き進める中で「花は咲かない」って言い切っていいのかどうかは迷った。

憲剛 いや、花は咲かなかったんです。この表現で合ってますよ。僕がキャプテンのうちは優勝できなかったですから。だけど、気づいたら、みんなが寄りかかれるようなものができていたのかなと、歌詞を読んでいて思いました。それがベースになって、みんなでタイトルが取れるようになったんだと思います。

常田 憲剛が初優勝のときに「この景色が見たかった!」って言ってたから、「景色になったよ」ってフレーズは初めから入れると決めていたんだよね。

憲剛 確かにそこはみんな僕のコメントを思い出してくれればいいなと思います。

常田 あと、ずっと続けてきたこと、信じ続けてきたことが実ったから、「言葉は未来を作った」ってフレーズになった。

憲剛 ここ、本当に泣きました。映画のストーリーと『天才の種』の歌詞って本当にハマってますよね。どちらもチーム強化と地域貢献というフロンターレの二軸をうまく表現しているし。みんなで話してきたことが未来につながったので。今回の映画は自分の足跡をたどるような感じもしつつ、やっぱりフロンターレに関わる多くの人の想いが重なった歴史なんだと思いました。みんなと一緒にやってきたことを思い出しますし、本当に感謝しかないですね。

常田 そう考えると、映画の主題歌に使ってもらえたのは本当にうれしいね。こういう形になるとは思っていなかったから。映画でもすごく愛がある使われ方をしてもらえているし、自分にとってはもう一つのミュージックビデオができたみたいで作り手冥利に尽きる。

――確かに壮大なミュージックビデオですね(笑)。

憲剛 2時間18分のミュージックビデオ(笑)。

常田 『天才の種』は個人的にもすごくよくできたと思っている作品で、常田真太郎という作り手としても、すごく納得できる一曲になった。だから何か伝わったものはあったのかなって。

憲剛 引退セレモニーのときは何も知らなくて号泣しましたけど、今回は知ってる状態だから泣かないと思ってたんです。でもまあ、しっかり泣きましたね(笑)。2時間以上の壮大なイントロで泣かされて、最後の『天才の種』にすべてが凝縮されて、さらに号泣。これもしんたさんと出会ったことで曲を作ってもらえたわけで、そうじゃなかったら実現できていない。最初に紹介してもらったところから本当に縁があるんですよ。一番最初に出会った友人で、15年間も付かず離れずの距離感でずっと隣にいてくれて、何でも聞いてくれて、怒られたりもしたし、励まされたりもしたし、ワールドカップに行ったときも落選したときも、ケガをしたときもいろいろなサポートをしてもらって。そして最後にこんな曲を作ってもらえて、映画の主題歌にもなった。本当に感謝しかないです。

常田 ちゃんといろいろ覚えててくれたんだ(笑)。

憲剛 もちろんですよ。15年間ずっと横で見てきてもらったから、その関係性も走馬灯のように蘇ってきました。それで歌詞の最後の部分ですよ。「でもまだその上があること 僕は知ってる ここからなんだ」っていうフレーズ。あれはしんたさんからのメッセージなんだと思う。

常田 そりゃそうでしょう。まだ戦わなければいけない場所があるでしょう。

憲剛 それは指導者であり、ここからの未来であり、ライバル関係であり。

常田 ここから中村憲剛が指導者としてどうなっていくのか。個人的にはシャビと憲剛が指導者として対戦するという夢もある。すべて楽しみではあるんだけど……心のどこかに「少しは失敗しろ!」って思ってる自分もいるのも確か(笑)。

憲剛 ほら、失敗は成功の『種』ですから。

常田 ここで『種』を使われたか(笑)。本当に今後が楽しみでしかないよ。もうこれから生きているうちに憲剛に何回勝てるか分からないな。サッカーゲームと一緒だわ。15年間で1,000試合以上やってるけど、5回くらいしか勝ったことないもん(笑)。

憲剛 はははははは(笑)。まあ強いですからね、しんたさんには(笑)。でも、初めて食事をした15年前にサッカーゲームをした関係から今の状況を考えると、本当に感慨深いです。

常田 こっちも最初に出会った選手が憲剛じゃなかったら、こうはなってなかったと思う。本当に感謝だよ。負けないけど。

憲剛 これからもよろしくお願いしますね。この曲への恩返しは目に見える結果で見せていきたいです。僕も絶対に負けませんから。
<プロフィール>
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ。東京都出身。都立久留米高(現・東京都立東久留米総合高)、中央大を経て2003年に川崎フロンターレ加入。中心選手として17年、18年、20年のJ1リーグ優勝など数々のタイトル獲得に貢献。16年には歴代最年長の36歳で年間最優秀選手賞に輝く。20年限りで現役引退し、現在は育成年代の指導や、川崎フロンターレでFrontale Relations Organizer(FRO)を務めるとともに、解説者などでも活躍中。6月には現役最後の5年間について綴った『ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録』(KADOKAWA刊)を上梓。

常田真太郎(ときた・しんたろう)
1978年2月25日生まれ。愛知県出身。ボーカルの大橋卓弥と99年に結成した2人組音楽ユニット「スキマスイッチ」の鍵盤担当。2003年に『view』でデビュー。代表曲は『奏(かなで)』『全力少年』『ボクノート』など。ユニットでの活動と並行し、様々なアーティストの楽曲アレンジ、プロデュースも行っている。常田真太郎×SHISHAMOのコラボで制作した、中村憲剛の引退に花を添える楽曲『天才の種』が好評配信中。11月24日にはスキマスイッチのニューアルバム『Hot Milk』と『Bitter Coffee』が2枚同時発売される。

憲剛に捧げる主題歌『天才の種』は好評配信中!

今回の映画で主題歌として用いられ、中村憲剛の川崎フロンターレの長きにわたる歩みを常田真太郎とSHISHAMOがバラードで仕上げた名曲『天才の種』。困難を乗り越えるために信念を持って取り組み続けてきた両者の想いが歌詞とメロディで紡がれ、数々の情景が浮かび上がる一曲だ。憲剛自身も「最後の『天才の種』にすべてが凝縮されている」と語るほど思い入れが強い曲でもある。壮大なメロディに加えて、しっかりと歌詞を読み込んでいくと、憲剛とフロンターレ、18年の物語が見えてくる。
(外部リンク)
https://umj.lnk.to/tensainotane

スキマスイッチの魅力が詰まった最新作が2枚同時発売

11月24日にスキマスイッチ約3年半ぶりとなるコンセプトオリジナルアルバムが2枚同時リリースされる。『Hot Milk』盤には、すでにリリースされた楽曲を含むタイアップ楽曲満載の“今、求められているもの”をテーマにスキマスイッチのPOPサイドを収録。一方の『Bitter Coffee』盤には“今、メンバーが作りたいもの”をテーマに、スキマスイッチの魅力であるシニカルな世界観や今までにない挑戦的な楽曲を収録。2枚合わせて、現在のスキマスイッチが完成するコンセプトオリジナルアルバムは必聴です。
(外部リンク)
https://sp.universal-music.co.jp/sukimaswitch/hotmilk_bittercoffee/
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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