連載:憲剛と語る川崎フロンターレ

中村憲剛×小林悠×登里享平×大島僚太【前編】 歴史を伝える大切さ【憲剛と語る川崎フロンターレ04】

原田大輔

一番うまくて一番有名な人が誰よりも声を出していた

チーム内で年長者である中村憲剛氏が率先してファン・サポーターとコミュニケーションを取っている姿に感化されたと小林悠は言う。憲剛氏は今後もその姿勢を続けていってほしいとメッセージを託す 【佐野美樹】

――憲剛さんは「サッカー選手はサッカーだけをやっていればいいと思っていたが、フロンターレに加入して違うことを知った」と発言していました。その言葉が示すように、川崎フロンターレの選手たちは、イベントや地域貢献活動に全力を尽くしている印象があります。3人も加入したときには、そうした姿勢を感じたのでしょうか?

小林 僕らが加入したときには、すでに(伊藤)宏樹さんや憲剛さんが率先してやっていましたからね。

登里 僕らもここが最初のクラブなので、それが当たり前だと思っていました(笑)。

小林 Jリーグのどのクラブも同じかと思っていたら、だまされました(笑)。でも、チームで一番うまくて、一番有名な人がバナナの被り物を被って率先してやっている。募金活動にしても、誰によりも声を出している。そういう姿を見たら、僕らがやらないわけにはいかないですよね。若手のとき、そう思ったことは覚えていますね。

登里 僕はもともと、イベントごとが嫌いではなく、むしろ好きな方だったので、抵抗はなかったですけどね。

大島 僕は得意ではなかったですけど……。憲剛さんがやっているのを見ると、断れないというか(笑)。

登里 でも、僚太だってファン感で踊るし、バナナ(の被り物)だって被るしね。

小林 結局、僕らがやることでファン・サポーターが喜んでくれて、チームや自分のことを知ってくれて、試合のときに力を与えてくれることに気がつくんですよね。自分がやればやるだけ応援という力になって返ってくる。だから、その循環が分かってからは、もう逆に率先してやるようになったというか。結局、自分たちのプラスになっているんですよね。

登里 ファン感で自分の殻を破ることによって、ピッチでも自分を出せるようになったりしてね。

――大島選手も?

大島 僕は性格的に、自分からさらに踏み込んで、何かをやるようなことはできないですけど、クラブが自分のことを分かったうえで依頼してくれるので、できる範囲でやるようにしています。ノボリさんみたいに、できないですからね(笑)。

小林 でも逆に僚太がやるとなると、ちょっとしたことでもファン・サポーターは盛り上がるんだよな(笑)。

登里 僕らが何回、身体を張っても、僚太の一回にはかないません(笑)。

小林 ここ2年、コロナ禍の影響でファン・サポーター、地域の方々やパートナー企業と触れ合う機会が減っているので、新しく加入した選手たちに、僕らが伝えていく使命はありますよね。

登里 コロナ禍で、ここ2年、恒例になっていた川崎市内の商店街へのあいさつ回りもできていない。日常が戻ったときには地域の人たちとの関わり方、フロンターレとしての取り組み方を後輩たちにも伝えていくことができればいいなとは思っています。

憲剛 そこは確かに大切な部分かもしれないね。しかも、コロナ禍の期間に、チームはリーグ戦で連覇している。要するに、そうした活動をしなくても、人気を維持できる、地域に貢献していると思ってしまうことがある意味、怖くはある。フロンターレがずっと大事にしてきたことが薄まってしまえば、薄まってしまうほど、将来的にきっと訪れるであろう、勝てなくなった時期に影響してしまう。そのためにも、今までクラブが大切にしてきた姿勢を、あなたたち3人をはじめ、選手たちには継続していってほしいですよね。

後編に続く

左から大島僚太、小林悠、登里享平、中村憲剛氏 【佐野美樹】

中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。都立久留米高(現・東京都立東久留米総合高)、中央大を経て2003年に川崎フロンターレ加入。中心選手として17年、18年、20年のJ1リーグ優勝など数々のタイトル獲得に貢献。16年には歴代最年長の36歳で年間最優秀選手賞に輝く。20年限りで現役引退し、現在は育成年代の指導や、川崎フロンターレでFrontale Relations Organizer(FRO)を務めるとともに、解説者などでも活躍中。6月には現役最後の5年間について綴った『ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録』(KADOKAWA刊)を上梓。

小林悠(こばやし・ゆう)
川崎フロンターレ/FW/背番号11。1987年9月23日生まれ。東京都町田市出身。拓殖大学を卒業後、2010年に川崎フロンターレに加入。チームがJ1で初優勝した17年にはJ1で23得点を決めて、得点王に輝くと、J1年間最優秀選手賞に選ばれる。その17年から3年間、キャプテンとしてもチームをけん引し、谷口彰悟へと受け継いだ。J1連覇を達成した今シーズンは途中出場が多かったものの6年連続での2桁得点をマークしている。21年で川崎フロンターレ在籍12年目を迎えた。

登里享平(のぼりざと・きょうへい)
川崎フロンターレ/DF/背番号2。1990年11月13日生まれ。大阪府東大阪市出身。香川西高校を卒業後、2009年に川崎フロンターレに加入。当初はMFだったが、左サイドバックとして出場機会を増やすと、チームがJ1で初優勝した17年には主力として活躍。攻撃参加だけでなく、的確なコーチングでチームメートを動かし、チームの頭脳としてもJ1連覇に貢献している。ピッチ外ではプロデューサーとして知られ、チームのイベントなどでも大きな存在感を発揮。21年で川崎フロンターレ在籍13年目を迎えた。

大島僚太(おおしま・りょうた)
川崎フロンターレ/MF/背番号10。1993年1月23日生まれ。静岡県静岡市出身。静岡学園を卒業後、2011年に川崎フロンターレに加入。プロ1年目から出場機会を得ると、中村憲剛のアドバイスを受けて司令塔として台頭。17年、18年のJ1優勝を含め、昨季はケガで離脱していた中村憲剛の不在を感じさせない存在感でJ1優勝に貢献。今季はケガにより出場機会を得られなかったが、ピッチに立てば技術の高いプレーで巧みなゲームコントロールを見せた。21年で川崎フロンターレ在籍11年目を迎えた。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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