伝説の投手・伊藤智仁が語るスライダー論 「伝家の宝刀」はいかにして生まれたか?
伊藤智仁コーチは、度重なる故障で輝いた時代は短かったものの、伝家の宝刀・高速スライダーで「伝説の投手」となった 【写真は共同】
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金属バットにいかに当てさせないか
バルセロナ五輪など社会人時代に目覚ましい活躍を見せた伊藤智仁(下段左から2人目)。1992年のドラフトではヤクルト、広島、オリックスの3球団が1位に指名した 【写真は共同】
社会人(三菱自動車京都)時代です。それまでは基本的に、ストレートとカーブを投げていました。といってもストレートは大して速くなかったし、空振りを取る球として使っていたカーブでも、実際あまり空振りを取れていなかった。スライダーも投げていたことは投げていたんですが、まだまだ有効な球ではありませんでした。握りと投げ方を変えて、やっとスライダーで空振りを取れるようになりましたね。
――プロ入り後の伊藤さんは、同じスライダーでも大きく曲がる、小さく曲がる、落とすと3種類投げ分けていました。最初に覚えたスライダーは、この中のどれですか?
最初は曲がりがそこまで良くなかったので、「小さく曲がる」という感じでしたかね。「バットの芯を外す」ための球種でした。ただ僕の在籍当時、社会人野球は金属バットを使っていたので、少々芯を外しても、簡単にホームランされてしまう。最初の小さなスライダーは、そんな球でした。
――そこで、「このスライダーをさらに大きく曲げるにはどうしたらいいか」と考え始めた?
そうです。金属バットに、「いかに当てさせないか」が一番の課題でした。そのとき、スライダーを投げていた先輩に、握りを教えてもらったんです。そこから自分で手首の角度など、投げ方をアレンジしながら試しているうち、ブルペンでも曲がり方がかなり違ってきました。試合の中で使ってみたところ、空振りが取れるようになり、やがて三振も取れるようになり……と、自分の中で自信のある球種にレベルアップしていきました。
――スライダーをレベルアップさせて、一番変わったことはなんですか?
勝負球ができた、ということが一番ですね。それまではバッターを追い込んで、「さてどうしようか」というピッチャー。それが、「追い込んでしまえばスライダーを投げられるな」と思えるスタイルに変わった。ピッチングが非常にラクになったというか、逆算して組み立てができるようになりました。
なぜバッターの手元で曲がるのか?
現役時代、巨人・原辰徳にスライダーを痛打された記憶が残っているという 【写真は共同】
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