城彰二×金子達仁スペシャル対談 アトランタ五輪「25年目の真実」
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オグの抜けた穴は全然埋まらなかった
25年前のアトランタ五輪を選手として経験した城氏(右)と、スポーツライターとしてその舞台裏を描いた金子氏(左)が、改めて当時の思い出を語り合ってくれた(新型コロナウイルスの感染防止に努め、撮影時のみマスクを外しました) 【YOJI-GEN】
城彰二(以下、城) 最初に僕のプレーを見てもらったのが、91年のイギョラ杯(東京都で開催されるユースのサッカー大会)かな。鹿実(鹿児島実業高)に入学する直前の大会でしたよね?
金子達仁(以下、金子) 取材に行ったら、空中で止まる中学3年生がいましたからね。それで、「釜本(邦茂)二世」って書いて。
城 言われたなぁ、そんなこと(笑)。
──そんなお二人にとって、おそらく人生の大きなターニングポイントになったであろう大会が、96年のアトランタ・オリンピックだったと思います。城さん、当時の五輪代表はどんなチームでしたか?
城 個性派集団ではありましたよ。でも、俺たちは言われているほどバラバラだったわけじゃなくて、すごく話し合うし、それぞれの特徴をちゃんと理解してもいたんです。たとえばゾノ(前園真聖)だったら、横にドリブルしたあとは縦パスを付けてくるよな、とか。みんな自分のやりたいプレーをしながらも、そういった特徴をお互いに意識して、なあなあにせずに擦り合わせることができるチームでしたね。ヒデ(中田英寿)なんかは、こっちが「あんなパスに届くわけがない」って言ったら、「届くように走れ」って返してくるし(笑)。
金子 そのヒデって、オグ(小倉隆史)の代役だったわけじゃないですか。(アジア最終予選の直前合宿で右膝十字靭帯を断裂した)オグが抜けた時の城さんの気持ち、代わりに入ってきたヒデとのファーストコンタクトって、どんな感じでしたか?
城 やっぱりオグがあの世代の絶対的エースだったから、彼が離脱したショックは本当に大きかった。しかも、2人組でクロスボールに入っていく練習中の怪我だったんですけど、その時にコンビを組んでいたのが俺ですからね。ただ、本大会には間に合う可能性もあったので、「オグのために」っていう想いがみんなの中にありました。
金子 そこに飛び級でヒデが入ってきた。
城 本人は飄々としてましたよ(笑)。たぶん、なんのプレッシャーも感じてなかったと思う。
金子 服部(年宏)君は、「縦社会を乱す奴が入ってきた」って。
城 ちょっと異色でしたよね。先輩を立てないどころかタメ口で、逆にこっちが怒られたりする(笑)。でも、裏を返せば一切物怖じしない良さがあったし、それにキャプテンのゾノが上手くまとめてくれたんですよね。「お前ちょっと言い過ぎだぞ」って諫(いさ)めたりしながら、少しずつチームに溶け込ませていったんです。
金子 プレーヤーとしての小倉君の穴は埋まりましたか?
城 いや、全然埋まらない。オグのあの独特のリズムと決定力っていうのは特別でしたからね。でも、だったら違うサッカーをやろうと。オグは流れてボールを受けて、そこから自分で仕掛けていくタイプだったけど、俺にはそれができない。それなら、俺がポストプレーに徹して、そこからサイドに展開するような攻撃をしようと、やり方を変えていきましたね。
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