ベイスターズ再建録―「継承と革新」その途上の10年―

中畑清の言葉に衝撃を受けた球団職員 「選手の魅力を、チームの魅力に」

二宮寿朗
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青木慎哉はTBSに経営権が移っていた2003年に念願かなって職員となり、球場演出、ファームチーム・湘南シーレックスを担当してきた 【横浜DeNAベイスターズ】

 球団事務所で中畑の言葉を聞いた一人に、ファーム担当を務める青木慎哉がいた。

 横浜生まれで横浜育ち、小学3年生からガチな横浜大洋ホエールズファン。とにもかくにも遠藤一彦が好きだった。ベイスターズになってから愛は一層強まった。日本一になった1998年の日本シリーズ第6戦は、横浜スタジアムのスタンドで声援を送り、権藤博監督の胴上げを見届けた。そのまま街に繰り出すと、ファンがバスの上にのぼって喜んでいた光景が今も目に焼き付いている。学生モニター制度を使って球団と接点を持っていたこともあって「ベイスターズで働いて、職員の立場で日本一を経験する」が夢になった。

 TBSに経営権が移っていた2003年に念願かなって職員となり、球場演出、ファームチーム・湘南シーレックスを担当してきた。大好きなベイスターズを仕事にする日々は充実していた。
 あまり明かしてこなかったが、ホエールズファンの前はジャイアンツファンで中畑清も好きだった。目の前にその人がいることを何だか不思議に思えた。

「こんにちは!」の声は聞こえたが、挨拶に口ごもった。いや移行期にある会社が、そういう空気でもあった。

 違う会社にいるような気分。前年はTBSから住生活グループ(現在のLIXILグループ)への身売り話が頓挫し、有能な職員たちも抜けていった。あの日本一以降はチームの成績も鳴かず飛ばずで、横浜スタジアムも観客が入らない。そんな状況のなか、12月前までいた幹部はいなくなり、「見たことのない人たち」がその席に座っている。事務所はスーツが基本と刷り込まれている青木に、「ジーンズ姿でPCを持って会社を闊歩する人」はあまりに衝撃的すぎた。旧体質で迷走中の組織と、黒船のごとく襲来してきた野球にまったくゆかりのないIT企業。幕末の徳川幕府が混乱したのもよく分かる。新体制になって会社の雰囲気は何だか殺伐としていた。

 覇気がない。目が死んでいる。
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著者プロフィール

1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技 、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。 様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「 松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)「 鉄人の思考法〜1980年生まれ、戦い続けるアスリート」(集英社)など。スポーツサイト「SPOAL(スポール)」編集長。

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