連載:石橋貴明が語る! 高校野球名勝負

石橋貴明が衝撃を受けた“怪物”江川卓 「バットにボールが当たらないんだよ!」

大利実
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多くのプロ野球選手を輩出してきた名門・帝京高校野球部出身の石橋貴明 【水上俊介】

 高校野球が好きな石橋貴明さんに「夏の甲子園・名勝負ベスト3」の選定をお願いするも、あまりにも思い入れが深すぎて順位付けが困難に。それなら春のセンバツも含め、印象に残っている名勝負に名選手、すべて語ってもらいましょう! 第1回は「最も衝撃を受けた」という元祖“怪物”こと江川卓について、タカさんが語り尽くします。(取材日:2020年7月24日)

衝撃を受けた作新学院・江川卓

――今回は、高校野球が大好きなタカさんに「夏の甲子園・名勝負ベスト3」を選んでもらう企画です。早速ですが、どの試合が印象に残っていますか?

 ベスト3ですか、非常に難しいですねぇ。うーん……、順位を付けるのは本当に難しい。夏の甲子園で一番古い記憶としてあるのが、原辰徳監督(巨人)のお父さん(故・原貢監督)が、東海大相模で優勝した大会なんです。

――1970年、タカさんが9歳のときですね。

 その翌年は、アンダースローの大塚(喜代美)投手を擁して、桐蔭学園が初優勝。このあたりから、甲子園を見るようになっていくんですけど、「最も強烈なインパクトを与えたのは誰なんだ?」となると、真っ先に思い浮かぶのが江川卓さんです。僕の6つ上なので、江川さんが高校3年生のときに、僕は小学校6年生。それはもう強烈でしたね。

――テレビで見ていたんですか?

 僕の兄貴(帝京高校出身)が、江川さんのひとつ上で高校野球をやっていて、「おまえ、江川卓を見ておけよ」と言っていたんです。2年夏の栃木大会でノーヒットノーランや完全試合を達成するも、準決勝で小山高校にサヨナラ負け。秋は全試合無失点で、関東大会優勝。「とにかくすごいピッチャーだ」と。でも当時は、今のように簡単に映像を見られる時代ではないので、「江川卓、ノーヒットノーラン!」という記事を見ても、どんなピッチャーでどんな球を投げるのか分からない。だから、映像で初めて見るのは甲子園でした。

――映像をすぐには見られないからこそ、ワクワク感があったのでしょうね。

 最大のインパクトは、夏ではなく春の北陽戦でした。たしか開会式直後の試合で、2回ぐらいまでバットにボールが当たらないんです。初めてファウルが飛んで、甲子園がどよめいた。当時は木製バットですけど、「バットに当たらない」というだけで、江川さんの怪物ぶりがわかりますよね。北陽も「西日本ナンバー1」と呼ばれるほどの力があったんですけど、江川さんはモノが違う。スピードガンがあったら、何キロ出ていたのかな。
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著者プロフィール

1977年生まれ、横浜市出身。大学卒業後、スポーツライター事務所を経て独立。中学軟式野球、高校野球を中心に取材・執筆。著書に『高校野球界の監督がここまで明かす! 走塁技術の極意』『中学野球部の教科書』(カンゼン)、構成本に『仙台育英 日本一からの招待』(須江航著/カンゼン)などがある。現在ベースボール専門メディアFull-Count(https://full-count.jp/)で、神奈川の高校野球にまつわるコラムを随時執筆中。

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