連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

甲子園のチャンスは今年しかなかった 元プロ投手を父に持つ高校球児の挑戦

瀬川ふみ子

試練を乗り越え、またも試練が……

心優しい仲間のおかげで新しい環境にも馴染み、「いい状態でプレーしていた」と転校直後の時期を振り返る行慶 【瀬川ふみ子】

 転校してすぐは、バラバラになっていたフォームの見直しからスタート。中学時代に父から教えてもらったことを思い出し、鏡を見たり動画をチェックしたり。また、二週間に一度ほど来る外部コーチの芝草の指導も受け、次第に感覚を取り戻していった。

「2〜3カ月かかりましたが、公式戦には出られない時期だし、あのときにフォームをしっかり見直すことができたのは良かったなって思います。2年の夏前には10試合ぐらい練習試合で登板させていただいたのですが、毎試合5〜6イニングずつを投げ、3点以上取られたことはなかった。このまま頑張っていけば3年の春や夏にはきっといい状態で大会に臨めるんじゃないかなって思いました」(行慶)

 父も、「前の高校のときは、始発で行って終電に近い電車で帰ってきて、精神的にも肉体的にも疲れ切った表情しか見ていなかったですが、こっちに来てからは表情も明るいし、意欲を持って取り組めている。もちろん、公式戦に出られないのはキツイでしょうけど、新潟に行って良かったなと思いましたね」と、息を吹き返したかのように生き生きと野球をする我が子を見つめた。

 公式戦に出られない悔しさは間違いなくあった。覚悟してきたとはいえ、やはりつらかった。でも、自覚しているからこそ、夏の大会直前は練習のサポートにまわり、バッティングピッチャーを買って出て、先輩たちや同級生のために渾身の球を投げた。準備、片付けも率先してやってチームに貢献した。

行慶は公式戦に出られない時期でもモチベーションを高く保ち、精力的にトレーニングを積んだ 【写真提供:帝京長岡高校】

 2年秋になると、本当なら自分の代のスタート。地区大会の初戦でコールド負けしてしまった自チームを見て「自分が投げられていたらな」と思ったという。全国各地で同級生たちが活躍しているのを見て、悔しさが募った。

「転校しても3カ月や半年で試合に出られたらいいのに……。そうしたら秋から出てセンバツを目指すこともできたのに」。そう何度も思ったが、そのたびに「春を見てろ! 春、結果を出して、夏も活躍して、絶対甲子園に出てやる!」と悔しさを力に変えた。父からも「今やっていることは無駄にならないから、しっかりトレーニングしておけよ。後から役に立つから」とアドバイスを受け、「甲子園へのチャンスは一回しかないけれど、自分の存在をアピールできるような活躍を見せてやる」とひたすら練習に明けくれた。

 その年の11月、外部コーチだった芝草が翌年から監督に就任することが決まり、行慶のモチベーションは上がった。

「中学3年生のとき、和歌山で声をかけていただいたのがきっかけで帝京に入り、そこからは転校してしまったけれど、転校先の監督になるなんて……。すごい縁を感じました。これだけ投手経験のある方に毎日見てもらえるのはありがたいとも思いました」(行慶)

 こうして、今まで過ごしてきた横浜や東京より数段寒い新潟の地で、行慶はトレーニングを重ねて春を待ったが……。

 ようやく公式戦に出られる!という春の大会が近づいたころ、新型コロナウイルスという悪魔に道を邪魔されてしまうのだ。

(企画構成:株式会社スリーライト)

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