東海大野球部はなぜ“レジェンド”招聘? コロナ禍に考える「いいコーチ」の条件
原辰徳、山下泰裕の誘いを受け、監督に就任した安藤強
今春、ホンダ時代の教え子である“ミスター社会人”西郷(写真右)をコーチに招聘した東海大の安藤監督。安藤監督が野球を通じて伝えたいこと、それは2人の関係そのものだった 【写真提供:東海大学野球部】
「自分でできることは、やっておいてよ」
リーグ戦で2018年春から5季連続優勝を狙う選手たちにとって野球ができないのはつらい状況だが、実家や自宅に帰ってたっぷり生まれる時間が逆にチームを好転させるのではないか。安藤はそんな期待を込め、収束まで離れ離れになる選手たちを送り出した。
「こういう事態になったのは残念ですけれども、その中で我慢が人を成長させると思います。チームに戻ってきたときに人としてどう変わっているのか。変化が一番分かりやすく見えると思います。頑張ったヤツにはチャンスをあげたいし、何とか伸ばしてあげたい。この我慢から、これまでとは違う学生が台頭してくると思うんですね」
“我慢”のチームづくり――。
社会人野球のホンダを09年に都市対抗優勝に導き、侍ジャパンの社会人日本代表を率いた後、東海大を4季連続リーグ制覇に導いている安藤のマネジメントはそう形容できる。
安藤が17年2月に監督就任した東海大は、首都大学リーグで73度の優勝を誇る名門だ(リーグ戦は19年秋までに全111回開催)。全国優勝は春に4度、秋に3度成し遂げている。
安藤を母校に招聘(しょうへい)したのは、東海大の誇る二人の大先輩だった。巨人の監督で野球部の5歳上の先輩でもある原辰徳と、柔道日本代表として1984年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得して2011年から東海大の副学長を務める山下泰裕だ。
安藤は就任1年目こそ社会人と学生の違いもあって勝てずに苦しんだが、2年目以降は4季連続リーグ優勝を飾る。そして今年、さらなる上昇を見据えて招聘したのが、“ミスター社会人野球”こと西郷泰之だった。
長野に影響を与えた“ミスター社会人”西郷の招聘
「西郷は周囲の手本でした。ホンダに移籍してきてくれたとき、『こうやってチーム力は上がっていくのか』と僕も気付かされましたね」
安藤がホンダを都市対抗優勝に導いた09年、頂点を目指すために不可欠なピースとして迎え入れたのが西郷だった。前年に前所属の三菱ふそう川崎の野球部が休部となり、すぐに獲得に動く。ホンダは他企業から選手を獲得するケースが少なく、西郷の当時36歳という年齢を不安視する声も強かった。
しかし安藤は、「うちには4番がいなくて苦労してきた」と社内の上層部を説き伏せる。勝てる環境を整えることこそ、マネジャー=監督に求められる仕事だった。
異例の移籍が実現し、迎えた09年元日。埼玉県狭山市のグラウンドを冷気が包むなか、当時37歳の西郷が精力的に走り続けた姿を安藤はよく覚えている。
「『37歳の人が、これだけ練習するのか』という姿がチームをいい方向に変えてくれたと思います。それが西郷の人間性であり、野球に対する姿勢。若手はもちろん、30歳そこそこのベテランも伸びて、チームにものすごく相乗効果がありました」
大の付くベテランが、試合でも練習でも常に全力を尽くす。本塁打を打つ能力はもちろん、ゴロでも疾走する姿に“レジェンド”の真骨頂があった。そうした背中は長野久義(現・広島)ら後輩に多大な影響を与え、ホンダは13年ぶりの都市対抗優勝へ駆け上がった。
一方、監督としての安藤について、西郷はこう語る。
「やっぱり熱さですかね。情熱。野球に対する熱さがある」
青汁とカラオケが好物の安藤は、いわゆる熱血漢だ。長野がこう話していたことがある。
「安藤さんは監督だけど、頼れるアニキという存在でしたね」
厳しさと優しさが同じベクトルを向き、適度な距離感から選手を成長に導いていく。56歳になった今も熱い男は、9歳下の西郷にこんな期待を寄せる。
「“ミスター社会人”と言われる中で、社会人チームで監督をしている姿を見たい人がいっぱいいると思うんですよ。東海大学でいろいろ勉強できれば、いい指導者になると僕は思っています」