酒井宏樹、苦難のシーズンの先に 故障や新環境適応の困難乗り越えCLへ

木村かや子

チームが2位を死守できた理由

ビラスボアス新監督(左)の新システムに順応するため、試行錯誤を続けた酒井。難しいながらも刺激的な6カ月と振り返った 【Photo by Getty Images】

 まずリヨン、リール、モナコなど2位候補の強豪がシーズン出だしに大きくつまずき、今季前半がまれに見る混戦状態になったこと。第二に、マルセイユが昨季の5位で欧州カップ戦出場を逃したおかげで試合数が少なかったため、選手層が薄くとも主力の体力がもっていたことだ。実際これはマルセイユにとって、近年の大きな問題だった。言い換えれば、ELの出場権さえ逃すという、前監督の『失敗』が、CL出場権=2位を狙うための持久力を授ける、という、逆説的実りをもたらしていたのである。17-18年シーズンのマルセイユは、根性と気力で突っ走ってはいたが、中2日で試合し続ける過密スケジュールのせいで、シーズン終盤には目に見えて息が上がっており、体力不足ゆえに勝つべき相手に対し勝ち点を落とすことに。それが最終的に命取りとなり、勝ち点1の差でCL行きを逃していたのだ。

 とはいえ今季のマルセイユが、攻撃の要、フローリアン・トーバンを故障で6カ月以上欠きながらも、11月から2位を維持し続けられた最たる理由は、内容的に競った厳しい試合、何よりキー・マッチで非常に苦労しながらも勝利をもぎ取る運気を持っていたことだ。

 GKスティーブ・マンダンダの復調、創造性をもたらす攻撃的MFディミトリー・パイエの好調ぶりが核となってはいたが、チーム全体を見れば、過去2年より明らかに勝るという風には見えない。しかし、スーパーサブとして、数回にわたり土壇場で結果をひっくり返したラドニッチの起用を筆頭に、ビラスボアス監督の選手交代が『当たる』という采配の運もあいまって、マルセイユは落としても不思議のない試合でしぶとく勝ち点を積み重ねた。

 今季のチーム、あるいは今季の監督が、勝運のようなものを“持っている”のでは、という漠然とした感覚が漂い始めたのは、前任のルディ・ガルシア監督指揮下でマルセイユが一度も勝てなかったリヨンを倒した、11月半ば辺りのことだ。そして1月に3位のレンヌ、2月に4位のリールという、2位争いのライバルにアウェーで競り勝ったとき、その感覚はいっそう強まることになった。

酒井自身が抱えた苦難と試行錯誤

 前述の2月16日(25節)、当時マルセイユは3位と勝ち点1の差で4位だったリールに対するアウェー戦で、後半に0-1とリードを許しながら、結局2-1で逆転勝ちした。自分が交代で退出した後に2点が入った試合後、酒井は「複雑な気持ちだけど、勝ててよかった」と言った。全く点が入りそうもなかった展開から突然逆転したこの試合を振り返り、「本当にサッカーって分からない。今季は、チームが何かを“持っている”。逆に僕は“持っていない”が、そこについては努力を続けるしかない」と漏らしていた。

 酒井がこう言ったのは、単なる謙虚さからだけではない。クラブの良い順位とは裏腹に、特に新年に入ってから、彼に向けて逆風が吹き始めていた。まず、1月5日のフランスカップで2度警告を受けて退場し、チームを10人にしてしまうことに。マルセイユは結局、PK戦の末に勝ったので実害はなかったのだが、相手が4部クラブだっただけに、負けていたらかなりたたかれていたはずだ。さらに2月、リヨンとの同準々決勝では、ハンドによりPKを献上。このときにもGKがPKを止めて実害なし、という小さな幸運が付き添い続けていたが、この2試合の間にもうひとりの右SBブナ・サールが好調ぶりを発揮したため、ベンチスタートや途中交代という、ここ数年の酒井にはあまりなかった事態も起き始めた。

 いくつもの感動的な試合を見せつつEL準優勝を遂げた17-18年シーズン(最終成績4位)はもちろん、その勢いに乗り意気揚々と始めたが、W杯バーンアウトもあって欧州カップ行きを逃し、失敗とみなされた18-19年シーズン(最終成績5位)でさえ、酒井はスタメンとして、常に安定した堅固な働きでチームを支えてきた。派手なことはしなくても、一貫して安定したプレーを保証できる縁の下の力持ち。その資質が酒井を、アップダウンの激しいチームで貴重な存在としていた。

 これはそんな酒井を見舞った、新種の試練だった。2月初頭のボルドー戦で途中交代させられたことについて、彼は「ショックだった」と、告白している。ウイングが本職の攻撃的サイドバック、サールが当時好調だっため、得点が必要なときにアタッカーを追加し、酒井を外してサールをウイングからサイドバックに下げる、というのは理解できる策で、実際ビラスボアス監督はこの手を数回使っていた。しかし酒井は「自分の定義の中で、サイドバックがフル出場しないというのは、非常に嫌なこと」と心境を吐露。「とにかく今は、自分のコンディションを上げていかなければならない。批判もプレッシャーも自分のキャリアには大事な壁。しっかり整理して乗り越えたい」と話していた。

 そしてこの頃になると、仏メディアもやんわりと、酒井がやや調子を落としている、と話し始めていた。

 それに先立つ11月末、対ブレスト戦前の記者会見で、アシスト数ゼロという統計を受け、酒井は地元新聞の記者から「今季、攻撃的貢献が低いが、改善するために何かしているのか」という質問を受けている。これに内心、負けじ魂をかき立てられた様子の酒井は、ブレスト戦でこれまでになかったほどサイドを駆け上がり、直接得点には結びつかなかったものの、多くの好機を演出した。試合後の酒井は、「選手にとっては、ときに批判されることも大事。ああいうこと言われるとモチベーションが上がる」と認め、質問を投げた記者からは、「今日の試合ぶりはすごく良かった」と賛辞も出た。

 しかし酒井は、その数試合後、「攻撃が減っているという指摘をメディアから受け、それで逆に自分のリズムを崩した。 あれは2度と犯してはいけないミスだったと思う。周りの意見に左右されたというのは非常に恥ずかしいこと。2度とないようにしたい」と話し、メディアに反応して我武者羅に攻撃に出たことを反省していた。

「サイドバックに求められるのはバランスなので、チームが勝てるようにするには何をすべきか、というのを常に考えている」という酒井は、このように、新監督の新システムに順応し、その中で自分の役割を果たすため、試行錯誤を続けていたのである。

「メンバーも、監督も、フォーメーションも、役割も変わったため、試行錯誤の連続だった。フォーメーションが変わると、すべてが全く違ってくる。三角形のボランチが逆三角形になるだけで、距離感や、プレッシャーのかけ方、攻守のポジショニングも変わってくるので、その中で自分の役割を明確にすることに加え、無意識に体が動くようになるまでに時間がかかった」

 2019年最後の試合のあと、酒井は前半戦を振り返り、こう明かした。

「前監督のときは、何もしなくても何がチームにとって大事か、何をすべきが明確だったから、(シーズンが変わる際に)元あったことにプラスしていっていた。反対に今季のここ6カ月は新しいことにいろいろチャレンジした。新しい監督を理解しようとしたり、刺激のある6カ月だった」

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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